「チョコレートドーナツ」みた。
偏見や差別意識が色濃い1970年代のアメリカが舞台で事実に基づいて作られた作品。
大体のあらすじは以下のとおり。
薬物依存症で育児放棄した隣人の母親に変わり、ダウン症の息子マルコを引き取ったのがゲイのルディであり、ルディの恋人で弁護士のポール。本来なら施設に送られるマルコだが、ルディらは収監中の母親から監督権を承認してもらうことで合法的にマルコを引き取り、愛情に溢れた充実した日々を過ごしていた。しかし、世間にルディとポールの関係が発覚したことで事態は急転。2人が”いとこ”と虚偽の申請をしていたことを上げ足にとられ、即刻監督権をはく奪されてしまう。
マルコを取り戻すべく申し立てを行うルディとポール。けれど、”子供を養育する”監督者としての資質を問われることになり、ルディはこれ以上ない理不尽にさらさせることになる。
なんだかんだと理由を付けて、結局のところ、子供の養育にゲイカップルは好ましくないというのが司法判断だった。さらに最終的には”実の母親”という最強の切り札を投入。服役中の母親を仮釈放させてまで同性愛者に権利を認めさせない手段が行じられた。
本来、子供の、しかも特別な事情を抱えている子供自身が幸福になる為の最善を考える場であるはずのものが、それとは無関係な動機による大人の事情で本題を捻じ曲げられ、世間的に最善と思われる方向へとすり替えられていく。
これがこの映画で一番切なく感じられる部分。
その後、薬物依存症の母親のもとに返されたマルコは、ロクに世話をされることもなく、数日後にその短い生涯を閉じることになる。
”もしも”そのままルディとポールに育てられていたならば、彼らを探して路頭に迷った挙句にひとり橋の下で遺体となって発見されることはなかっただろうと、誰もが思うだろう。
けれど、世の中に「もしも」なんてものはない。あるのは運とタイミング。
無責任な他人事のような言い方になるが、「時代による不運」にさらされた彼らなのだと思う。でもマルコがルディに出会い、1年間とはいえ共に暮らせたことは運が良かったとも言える。
ただそれもこれも単なる結果論でしかない。母親が更生したのならばやはりそれが最善のはずだし、司法の判断が100%間違っているとも言いきれない。そもそも人間が関わるすべてのコトに間違いがないわけがないのだから。
これがこの映画のトドメの部分。色々な思考からグルグルさせられてしまう。
ひとつ言えることは、差別や偏見は正しき判断を惑わせるもの。
マルコの事例は未来に影響を与えることになったのだろうか。
そんな余韻をもたらすラストだった。
涙はそそられるけれど、ゾクに言う意図的な”泣かせ映画”ではないし、俳優陣も素晴らしい。社会派で良質な作品と思う。
好感度:★★★★
理解あるマルコの特別支援学校の先生役に『Lie to me 嘘の瞬間』でのジリアン・フォスター博士(ケリー・ウィリアムズ)が!彼女は品が良くって好きなんだよね。
発見にちょっと嬉しくなった。
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コメント
たいむさん☆
話題が先行して感動モノと思って観てしまうと、ちょっと肩透かしなかんじになりますよね。
私は試写だったので、まだ何の情報もなく、その分ガツンときました。
見ている最中より、あとからジワジワと来る良作ですよね。
投稿: ノルウェーまだ~む | 2014/06/14 22:25
■ノルウェーまだ~むさん、こんにちは
内容が内容だけに感動とかいって泣きっぱなしのインタヴューを見ると偽善な印象を受けてかえって白けてしまうのですけど、本当にじわじわ心に響く映画でした。
あんまりソコは強調せずに素晴らしさを伝えたいものです。
投稿: たいむ(管理人) | 2014/06/16 09:32