「最愛の大地」みた。
いつの時代も世界中のどこであっても戦時下における女性の扱いは酷いの一言に尽きる。この映画では、セルビア系ボスニア軍の捕虜とされたムスリムの女性たちが監禁のうえ蹂躙され続けた史実が再現されているのだけれど、ショッキングな事実には言葉を失うばかりだった。
誰もが男たちの性的暴力に憤り、ただ慰み者にされた女性を心からいたわしく思いながらも、自分じゃない事に安堵する女たち気持ちも理解できるところがまた辛い。悪目立ちしないように、兵士の気を惹かないように、息を殺し身を固くして祈るしかない女たち。どんな目にあっても我慢するしかなかった彼女たちに掛ける言葉など何一つも思いつかない。
殺されたから殺して、殺したから殺される。そうした連鎖が続く限り民族間紛争は決して終わらない。それは”敵”と認識されるのは組織全体で所属する不特定多数の誰でもだけれど、酷い仕打ちを受けて憎悪を膨らまし続けているのはどこまでも個人だから。やった方よりやられた方の記憶は消えないものだし、それが個人レベルとなると憎しみはどこまでも深くなる。
こうなるともはや争いの土俵が同じようでいて、実は既に食い違ってしまっているから収拾の付けようがなくなってしまっているのかもしれない。
この作品的にはセルビア系ボスニア軍側の一方的なムスリム排除のような感じになっているけれど、過去にはムスリムによるセルビア人支配の歴史もあり、先に手を出したのはムスリム側だと、だからおあいこなのだとも言われ、またヒロインのムスリム女性もただ被害者だったものが仲間の報復(姉の私怨)に加担することで加害者へと変貌してしまってもいる。
映画としても「終わりなき戦いを描いて、オトシドコロはどこだろう?いつ終わるんだろう?」と感じられるものがあったが、やはりそういうことにしかならないんだよね。
日本にも黒歴史はある。戦後70年近くになり大多数が戦後生まれとなった今、自分も含めて日本人に当時の”日本軍”の過ちによる罪の意識を強く持て・・というのはたぶん難しい。(日本人にも原爆などによる被害者意識があることだし)。けれど個人の屈辱を家族に伝え続ける隣国の人々の意識は果たしてどうだろう。
折しも終戦記念の日が鑑賞日となり、戦後生まれはどうやったら負の遺産を清算できるのだろうかと、この映画を観ることで答えなき思考をグルグル巡らした。
女性への性暴力に始まり、無差別虐殺による憎しみの連鎖から裏切りと報復へと、非常に見応えのある内容。監督や脚本家としてのアンジーの力量はまだまだ未知数だけど、気合いや意気込みといった強き想いは伝わってくる映画。その分欲張りすぎなのか終わりの見えない戦いに観る側も疲労して長さを感じなくはないが、最後まで目を離すことができない映画だった。
好感度:★★★★
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