「マシンガン・プリーチャー」みた。
家族を顧みずクスリにおぼれ堕落した生活を送っていたサムだが、あることを切っ掛けに救済を求めて神を信じるようになってからというもの、自らの手で教会を建てたり、孤児院を作ったりとすっかり別人に変っていく。
ある時サムは、ウガンダから来た牧師の話に感銘を受け、アフリカにボランティア視察に出かけるのだが、スーダンの現実に衝撃を受け、特に”神の抵抗軍(LRA)”による児童誘拐に憤り、保護する場所としてスーダンにも孤児院を建てると宣言、家族の理解や仲間の信者らの援助を受け、”人民解放軍”の協力のもと自らもスーダンで尽力し始める。そして現地ではいつしか”白人の牧師さま”として慕われ、”守護者”のような特別な存在として支持されていくことになる。
また一方で銃を手にして戦うサムについて、LRAのリーダー:コニーと紙一重であると指摘する者もいた。
事実、サムの行動は多くの子供たちを救うけれど、やがて眼前で繰り返される悲劇に当てられ過ぎたサムの心は荒み始め、資金難の追い討ちから、誰に対しても過去の彼のような凶暴さを見せ始める。そしてピリピリとした負のオーラに包まれたサムを遠巻きにし始める仲間や子供たち。
そんなサムの苛立ちは、”正しいことができない。すべてを救えない。だれも手を差し伸べようとしない”といった、哀しい現実による嘆きだとわかるから痛々しくは感じるが、憐れにさえも見える豹変だった。友にあたり散らし、家族を捨て、私財を投げ打ってまでスーダンに舞い戻るサムは、もはや何かに憑りつかれているとしか言えないものになっていた。
そんな荒んだサムに初心を取り戻させたのが、元LRAの少年兵:ウィリアムで、サムが救出し孤児院に保護した少年だった。
LRAの命令で母親を殺すしかなかったウィリアム。彼の「憎しみに心を支配されたら負けなんだ」という言葉はまさに真理で、被害者であり加害者であった少年の覚悟そのものだったからこそ、逆立っていたサムの心に届いたのだと思った。
アフリカ戦線には少年兵が多いとは聞いていたけれど、誘拐され、肉親を殺害させられるなど無理やり洗礼を受けさせられ、本来は被害者なのにいつしか自ら銃を手にして言われるがまま殺人兵器になって死んでいくというシステムに戦慄する。そして、どれだけ少年狩りを続けても何故か減らない子供の数は、少女たちもまた犯され続けているからなのか?
遠いアフリカ大陸で延々と続いている内戦。きっと、今、この瞬間もどこかで銃撃戦になっているかもしれず、現在もチルダース牧師は活動を続けているとのことだ。
力に対して力で抗う手段を積極的に選んだチルダース牧師の活動に対し、何かを言う資格を私は持たない。
けれど、人間が人間である限り、恐怖で人が人を支配する世の中、憎しみが連鎖し続ける世界が消えてなくなることがないとするならば、何とどう戦うのか、個人として心を決めておくべきと思っている。
この映画には、終わりのない現実を知る切っ掛けが貰えたことを感謝する。
好感度:★★★★
ジェラルド・バトラーに好演にも拍手!
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コメント
この映画を見たら自分には何ができるのかと考えてしまいます。
できればこの映画を上映してくれた映画館にこの牧師さんへの募金箱があればよかったのですが…。
投稿: にゃむばなな | 2012/06/29 21:29
■にゃむばななさん、こんにちは
何が出来るかではなく、何をするかに意識が変らなければければ、きっと何も出来ないままな気がします。
・・・と、なんだか「ガンダムSEED」ばかり思い出すんですよ、この映画。
募金箱ねー。あればいくらか入れたかもしれないけれど、一発の銃弾になってしまうのはなぁ・・・とか考えてしまう偽善者な私かも。
投稿: たいむ(管理人) | 2012/06/30 14:42