《古典部シリーズ》から『愚者のエンドロール』を読んで。
ほとんど昨日の今日のようになってしまったが、悔しかったので敬意と共に感想を書きたいと思った。
『氷菓』は著者のデヴュー作でもあって、「“ミステリー“としては非常に素直でストレートな印象」などと偉そうに評した私。それなのに2作目の『愚者のエンドロール』でコロンと私はひっくり返されてしまった。とはいっても、前言を撤回する気はなく『愚者・・』もとても素直で親切設計なミステリーであることは間違いなく、推理小説として伏線がバレバレである限りは「並」だと思う。だから尚更に悔しい。前作では自分で「特筆しているような描写はすべて無関係ではない」とまで言っていたのにね。とにかく懸念していた”キャラ読み”に比重が偏ったことで、奉太郎と同じ過ちに陥ってしまった私だ。つまり今回は見事にミスリードに引っ掛かったってことだ。う――。
(以下、読み解きのヒントとしてネタバレに直結する部分も含まれているので、これから読むつもりの方はご注意を)。
とにかく何が悔しいかといえば、事前に記されていた部分から私が持った疑問や違和感、加えて登場人物のこだわりポイントだったり、当事者の意思確認がなされない状況での思い込みによる解決法だと気が付いていながら、奉太郎に合せて有耶無耶にしてしまった結果として同様の敗北感を味わってしまったこと。完全に”キャラ読み”が祟ったわけだ。
とりあえず私が引っかりを覚えたところで、本当は最後まで頭の片隅に残してスルーしてはいけなかったポイントをあげておく。
その1、冒頭のチャットのメンバーについて、固有ハンドルがある人、ない人、特に「あたし♪」とは誰なのか。
その2、「君のことは3人から聞いている」という入須の言葉から、学外の3人目とは誰のことか。
その3、個別アンケートの結果から、クラス総意としての脚本反映と本郷の採否。
その4、千反田がやたらと本郷の交友関係を気にする理由。
その5、本郷が参考にしたはずの「シャーロック・ホームズ」に意味はないのか?○×は本当にネタ用だったのか?
その6、何より、本郷の本意とは?結論を本郷に確認しないのか?何故本郷は出てこない?
あと、初めから「本郷は病むくらい真剣に取り組んだ脚本を他人に任せてしまっていいのか?」という疑問もあったが、「病を悪化させられない」という最もらしい理由によって外して考えるしかなかったというのもある。
他には、話題として”タロットカード”の例えがあるが、”タロットカード”に関する知識はもともと持ち合わせていないので分からなくて仕方がないとし、奉太郎の“カメラマン”を頭数に入れた最終案が”本当にすべての条件を満たしているのか?”から物理的トリックの点においては、私も”ザイル”の存在をすっかり忘れていたので、こちらは完全なる見落としを認めることとする。そして、本当は「その7」としたいところの”入須先輩は何者であるか?”なのだが、これは「只者ではない」とは思いつつも里志の的確な人物描写(最終的には誰もが手ゴマにされている)という大ヒントで確信に至らなかった時点で負けを認めざるをえないと思う。皆に一目置かれた存在であることは誰でも分かることだし、彼女の「胡散臭さ」と「本質」くらいは看破してなくちゃダメだったんだよね。
・・・でも、こうして整理してみると、本当にこの物語がいかに丁寧かつフェアに書かれた”ミステリー”であるかがよく分かる。あああ自分が情けない。
さて、ポイントを検証だが、その前に多少なり概要を説明しておく必要があるだろうか。
今回古典部(正しくは奉太郎)に齎されたミッションは、ザックリ言えば”未完のミステリー映画”を完成させることである。事の発端は千反田が個人的に「ビデオ映画の試写会を見て欲しい」との打診を受けて古典部に持ち込んだことにあり、ミステリ研でもない古典部が部員総出で取組む必要など全くないの依頼を受けることについては、成り行きでも関わってしまったのが運の尽きと見せかけて、実は巧みに誘導されていたというのが大事なポイントと言える。
まず千反田への打診だが、それが「その1」にあることは例えハンドル名と個人が一致していなかろうが読者の誰もがすぐ関連付けできるものだ。次に主要な登場人物が出そろい、依頼内容と「その2」による”人選の理由”が明かされた時点で、それを「その1」に結びつけることができたならば、この話のオチの半分を看破したといっても良いと思う。(しかし余程注意深いミステリ好きならともかくどれだけここで冒頭に戻れた人がいるのかと思い、逆にそうだとしたらバレバレの駄作だろうと思い却下したいところだ)。
ここからはしばし散り散りの情報をひとつに集結させる作業になるので割愛するが、”奉太郎が依頼を完遂するためには”絶対に必要な情報がここで揃えられるわけで、”ザイル”のような事実や情報を一つでも見逃たりすると、「すべての条件を満たしていない」という過ちを犯すことになってしまう。中でも注目すべきは「その3」のアンケート結果だろう。はじめてクラス多数決票とは異なる設定にした、本郷の意思を感じる項目があるのだから。(私としては惜しくもあと一歩真実に届かなかったが)。
ただ、この間には「その4」にように依頼とは無関係に思われるやり取りも多く含まれている。それらに対しては、”神”視点を持つ読者の穿った見方による”ヒロインである千反田が注目する事に無意味なものは無いハズだ”として、反則気味ながら心に留めておいたのは確か。けれどそれだけでは千反田の真意までは判らないわけで、言い訳がましいが、重要な伏線とわかっていながら放置せざるをえない部分として認識するしか出来ないのだと思う。
結局古典部も関係者も結論を見つけることは出来なかった。けれど、タイムリミットを境にして奉太郎はひとつの決断をし、結論を導きだすことに成功する。(何故そうなったのかは別の大きな意味が持たされているのでここでは語らない)。
奉太郎が導き出した唯一であろう後付け模範解答によって依頼は果たされ、”ミステリー映画”は完成した。そして奉太郎は達成感で満たされ、誰もが万々歳となる落着となった。・・けれど、だからといって「その5」と「その6」を有耶無耶にしてはいけなかったのだ。例えこのままにしたところで誰も困らなかったとしても。
残されたのは『氷菓』の時と同じような落とし穴。完成した”ミステリー映画”は矛盾もなく完璧に仕上がっていたけれど、それでも「正解」では無い事に気が付いたのが奉太郎以外の古典部員3人だった。それぞれが違った視点から奉太郎の「見落とし」に気が付き「不正解」を突き止める。伊原は奉太郎案では使われなかった”ザイル”の存在を。里志は「その5」と照らし合わせた場合にのみに判明する奉太郎案の破綻を。そしてやはり真打千反田の保留伏線が奉太郎と私を打ちのめしてくれた。
またしても言い訳がましいが、私だって「その5」「その6」を決して都合よく頭から消し去ったわけではない。特に「その6」は最後まで引っかかっていたところだ。けれど奉太郎が自分の殻を破ろうとしたことが嬉しかったし、その結果に満足してつい思考を止めてしまったことに敗因があったと今ならばわかる。やはり”キャラ読み”のワナに落ちていた私なのだ。
そこから先の表向きではすべてが終わったあとの話は、奉太郎の名誉挽回のための最終戦と言って良いと思う。もはや言うまでもないであろう黒幕の正体と「その6」に絡んだ真意が明かされ、大黒幕の姿を垣間見る。全てが腑に落ちる決着。そして『愚者のエンドロール』というタイトルの意味を理解する。
最終戦は、折角一歩踏み出したというのに、”孫悟空”の如く手のひらで転がされていた上にポッキリ折られてしまった奉太郎の今後のために必要な(作者による)フォローでもあり、”神”なのに一緒になって翻弄してしまった私をも救ってくれるものだった。読み終わった直後の敗北感がこうして感想をアップする切っ掛けになったし、おかげでスッキリと次に行けると思ったわけだし。
この一連の出来事で奉太郎が負ったダメージは決して小さくは無かったハズ。相手の格が違いすぎたのがせめてもの慰め。けれど良い副作用として彼には”気付き”が齎され、確かに”浪費”から”喜び”を実感した事を自覚して認めたのだ。だからこのまま逆戻りすることなく前に進み出すと思えるし、結果論にはなるが、これからの彼のために必要なプロセスだったのかもしれないと思えた。そこが救い。(彼を良く知る大黒幕のダークな思惑がどこまで作用したのかという部分は、『氷菓』に引きつづき言及されないままだが)。
達観しない優秀過ぎない奉太郎をすっかり気に入ってしまった私。《古典部シリーズ》はミステリーであると同時に、ほろ苦青春小説でもあるという。ならば私は例え推理面で同じ轍を踏むことがあるとしても、”キャラ読み”は改めることなく奉太郎らの成長を見届けようと思い、2クールらしいアニメとあわせて残りの小説を読み進めようと思った。
さて、早速これまでの倍の厚さになった3作目に進むことにしようか。
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コメント
「愚者のエンドロール」も即効で読了しました。いやー、この作家さん頭いいなと「氷菓」よりも特に思いました。
女帝先輩のプロデュース能力は「攻殻SAC」の合田一人、「東のエデン」の物部、「すべてがFになる」の真賀田四季(これはマニアック過ぎるか)のような全ての展開を書き変えるヤバさを感じていたので、何かやらかしてくれるとは思ってましたが、なかなかのオチ。私も奉太郎と同じミスリードにしっかり引っ掛かりました(その1、その2には気づいたのですけど。。。)
それにしても今回はこの米澤さんの事件解決に結び付ける思考プロセスの美しさを見せつけられた気がします。解そのものよりも方程式の美しさのようなものか。言葉の使い方も含めて好みなのでクドリャフカ、当然買ってしまいました。
投稿: GAKU | 2012/06/08 00:43
■GAKUさん。こんにちは
ふふふ。一気に読んじゃったでしょ?薄いし。(^^)
「方程式の美しさ」とはうまいこと言いますね。
私も、作風には本当に綿密に計算して作ってるなぁって思い、この作家の性格を感じました。
作家自身、推理モノが大好きで図書館を制覇するくらい読みこんでいるのかなーって思うしね。(特に外国もの)。
でも、すこしばかり几帳面すぎるきらいが感じられます。情報過多というのかな?
些細な部分まで最後にあれこれ結集するのは良いけれど、すべてが関連付けられてしまう種明かしはややトーンダウンします。
私としては、「もしかして・・・」と匂わす程度に謎が残り、グレーな部分をニヤリとするような感じが好みかなー。
しかし、女帝のプロデュースはお見事でしたね。
例えの中では合田が一番近いかなぁ~
ナイスキャラです。
1.2は気づきましたか?
私は先に先にって読んでしまったんで、冒頭のチャットのこと途中で忘れちゃってたんですよね。
ということで、まぁいろいろ失敗した「愚者・・」で、同じ轍は踏むまいと思っているところです。
投稿: たいむ(管理人) | 2012/06/08 12:52
こんにちは。つい先程愚者のエンドロールを読み終わり、何となく分かったようなまだ何か引っかかるような…といった気分だったので、Webで解説を探しているのですが、ちょっと質問させていただいてもよろしいでしょうか?
私はミステリーファンという訳じゃなく、読書家でもないので、初心者レベルの質問になってしまうのですが、どうにもすっきりしないので。
まず、
真相としてホウタロウの解決案は誤りだった訳ですが、ということは、稚拙なカメラワークは素人の撮影であるからで、映画のストーリー上は存在しない懐中電灯が当たるシーンも筋書き上は現場の照明で、ワザとらしいライティングであるのは細部を観客に見せるために仕方なかった、ということでしょうか?
また、最後に本郷の真の筋書きをホウタロウと千反田がチャットで相談していますが、その内容が正しいとするなら、そして本郷の脚本がその通りに撮影されていたなら、どのタイミングでどのように事件が発覚する予定だったんでしょうか。
海藤が鴻巣をかばって控え室に自ら閉じ籠り、後で意識を取り戻した時にも怪我の理由をガラスで負傷したと伝えるなら、どこかで傷害事件があったことを疑う根拠が発覚しないと、映画の中でのミステリーが始まりません。
たとえ海藤の意識が戻らないうちでも、ガラスが散乱した密室で怪我を負傷して倒れている状況を見れば、仲間内の傷害事件を疑うより、海藤の不注意による事故だと断じるのが自然だと思うので、真の脚本の下ではどこのタイミングでどうやって鴻巣の犯行を発覚させるに至ったのかが気になります。
このあたりはもう想像するしかないのでしょうか。
もしこのあたりのモヤモヤを解消できる意見をお持ちでしたら、教えていただけないでしょうか。
投稿: やすこ | 2012/06/19 19:39
■やすこさん、こんにちは
やすこさんの疑問について、私はちっとも気にならなかったのですが、頂いたコメントをスルーするのは性に合わないでの私の考えを述べます。
まず1つ目ですが、おそらく「ド素人の作品だからです」がそのまま答えでよいと私は思います。
役者もカメラマンも脚本家もド素人なのは間違いなく、奉太郎が思いがけずカメラワークや照明をクローズアップさせてしまったから作為的に感じるようになっただけと思いますよ。
そして2つ目の、「どのタイミングでどのように事件が発覚するのか、これでは映画の中でのミステリーが始まらない」ということについては、たぶん本来はそういうことだったのだと思います。
たまたま奉太郎は”起きてしまった殺人事件”を収拾するために”カメラマン”で話を創り上げてしまったけれど、自由に動けたカメラマンでは謎はなかったわけで、奉太郎が入須に言った言葉を借りれば、「別にいいでしょう、謎なんて」と同じこと。強いて言うなら、口を割らない海藤のケガの原因は、当事者以外には謎ってことでしょうか。
「鴻巣の犯行を発覚させる」という部分も、鴻巣の犯行だということは当の本人と海藤が知っているから良いんです。理由は海藤が鴻巣に直接問いただしているだろうし、どこにも矛盾はありません。
詐欺のような話になるけれど、そもそも本郷のミステリーは「ウケないこと請け合い」の駄作だったんですよ。本郷も、「参加することに意義がある」くらいのスタンスで自分の好みに合わせて人死にしない脚本を書いていたわけで、方向性が捻じ曲げられてしまったあとはとにかく波風が立たないことを望んでいたのだから。
だから入須は、本郷を矢面に立たせることなく、それでいて映画もソコソコ上手くいく方法を模索し、奉太郎の姉を頼る(使う)ことを思いついたってことですね。この小説は、入須がどんな人間かってところが肝ですから。
そして、思惑通り奉太郎は結果をだしたけれど、この小説はもともと結果オーライになるように仕組まれた、物語のための物語だと私は思ってます。
私の考えは以上です。そしてあくまでも私の考え方なので、これに対する更なる質問や意見は受け付けませんので、そのようにお願いします。
あとは、自分で考えてくださいな。
投稿: たいむ(管理人) | 2012/06/20 00:28
この度はご回答ありがとうございます。
おかげですっきり出来ました。
駄作というのはミステリーで人が死なないことに対してだと思っており、殺人事件にせよ傷害事件にせよ、登場人物みんなで謎の究明にあたる脚本になっていると思い込んでいました。
当事者の間だけで真相を解明しているシーンが後半で用意されているのだとすれば、私の疑問も解消されます。
ミステリーの展開としては面白味に欠けますが、駄作というのはそういう部分も含めてなんですね。
いきなりの質問で、お時間を作ってご丁寧な返事をいただき、ありがとうございました。
投稿: やすこ | 2012/06/20 13:33
■やすこさん、こんにちは
上記では、厳しい事を言ってごめんなさいね。
ちかごろ安易に質問攻めにしてくる通りすがりの方がチラチラ現れるので予防線も兼ねているんです。
とりあえずは参考になったようで良かったです。
一般的にミステリには殺人事件が付きものなので、傷害事件じゃ物足りなく考える気持ちは分かります。ホラーと混同しているようなクダリもあったわけで、だからクラスは暴走して勝手に死んだことにしてしまったのだしね。
だからといってイコール駄作ではないんですね。失せモノ探しだけでも面白い作品はたくさんあります。この「古典部シリーズ」だって誰も死なないけれどミステリの分野ですし(笑)
つまり、ミステリに思い込みは厳禁なんです(^^)
でもなんであれ、ツマラナイのは駄作です。入須は自分が関与してしまった限りは、駄作ではプライドが許さなかったんじゃないかな。
また、当事者間で真相究明がなされたかは、あくまでも奉太郎と千反田のチャットから想像するところ。
重ねて言いますが、解釈が正解かどうかは不明ですので、そこはお願いします。
ではでは。
投稿: たいむ(管理人) | 2012/06/20 17:45