『天地明察』 冲方丁/著
主人公は天文暦学者、囲碁棋士、神道家と様々な顔を持つ渋川春海。時代は江戸時代前期、4代将軍:家綱の時代から5代将軍:綱吉の時代のあたりで、渋川春海が幾度となく挫折を繰り返しながら、23歳の時から45歳になる22年をかけてようやく成就した改歴事業についての発端から顛末までが描かれている。
もともと囲碁棋士の家系の嫡子として生まれ、既に家督も継いでいる春海。囲碁については良く知らないのだが、武士の世界では囲碁は心得のひとつらしく、春海は徳川家に仕える”碁打ち衆”四家の一員:安井算哲として登城が許され、時には将軍に御目見えも出来る結構な身分だったりする。また囲碁棋士という者は幕府高官や大名のみならず、公家や学者筋等とにかく広い交友関係を持っており、彼らの持つ人脈や情報は貴重とされていた。そして春海は好奇心旺盛な少年だったようで算術にも長けており、更には天文学や神道にも通じていることは城内に知れ渡っていた。
やがて春海は碁打ち衆でありながら、2代将軍:秀忠の御落胤で会津藩主:保科正之に若さと才能・ひととなりを買われ、密かにその命を受けて改歴の事業に就くことになる。当時採用されていた宣明歴は800年の間に2日にも及ぶ誤差を生じさせていた。すでに専門家らの間では周知のことであり改歴の必要性が囁かれていたが、天文は陰陽博士の分野から朝廷の管轄で不用意に幕府が関与できないものだった。そもそも改歴となれば宣明歴の誤謬を証明しなければならず、まずは膨大な観測によるデータ収集にはじまり、同時に新たなる正しい暦を提案するための準備が必要となる。よってとにかく膨大な時間を要することからも、若くて才気のある春海に白羽の矢が立てられたのだった。
・・小説ではそこに行く着くまでにかなりのページが費やされており、「やっと本題に入ったか」という感じだったりする。冒頭では45歳になった春海の「大和歴」が改歴に採用されるか否かといった序章で始まるが、その後は発端のさらに発端、春海が21歳の時に算術家:関孝和の存在を知るところにまで遡り、あとは地道に年を重ねて行くことになる。実在の人物と実績に基づきながら肉付けをした小説であると思えば、実際に春海に関与した様々な出来事や人物などを伏線として盛り込まねばならないのだろうし、最初から成就までは22年も掛ったと語られているので左程気にはならなかったが、「いつになったら・・」となんとなく不安を覚えたのも確かである。
また、この小説では、章の最後などにおいて「…について今は知る由もなかった」であり、「そうなると信じていた。だが、そうではなかった」といった暗雲を予告する書き方が非常に多い。これも事実に基づいている物語であるため、分かりきった失敗の数々を隠すようにしてワザとドラマチックに仕立てようとしていないためだと思われるが、渋川春海であり改歴の歴史をまったく知らなかった私なので結構これには凹まされた。もちろん最終的に成功するのは分かっていても、こう何度も高揚しかけた気持ちを押し下げられる予告があるというのはツライものだ。本当に「あと一息!」ってところでいつもそれは起こるので、この本をはじめて読もうとしている人には、一つ一つに過度の期待をしてはいけないと忠告しておきたいと思う。
悲しみであり喜びであり様々ではあるけれど、何度となく涙がこぼれた小説だった。本屋大賞として評判になったのも、直木賞候補になったのも納得のゆく作品であり、とても良かった。また主人公:春海の描き方や時代小説としての雰囲気が私の肌に合っていたのも良かった。
冲方丁作品としてアニメは『シュバリエ』や『蒼穹のファフナー』くらいしか知らず、クセとかアクの強そうな印象から小説はまったく読んだことがなかった。けれど私の御贔屓作家さんのひとりである夢枕獏作品も時代モノからSFまで様々な分野があり、なんとなくそれらに近い感覚で読めるのではないかと感じている。例えば『黒塚』が読めるのだから『マルドゥック・スクランブル』シリーズなども読めそうなそんな感じであり、いずれ読んでみようと思っている。(アニメ映画にもなったしねw)
時代小説では、この小説にも登場していたあの「水戸光圀」を主人公にした小説を書いているとのこと。時代劇の『水戸黄門』像とはかけ離れ、豪傑に描かれていた水戸光圀公。こちらも書籍化を楽しみにしたい。
そうそう、劇場版『蒼穹のファフナー』ももうすぐ公開だなぁ。
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