「重力の井戸の底で」 福井晴敏(著) 読んだ。
「ユニコーンの日(上・下) 」、 「赤い彗星」、「パラオ攻略戦」、「ラプラスの亡霊」に続き、『機動戦士ガンダムUC (ユニコーン)』の角川文庫版の原作本の第6巻。”重力の井戸”とは当然地球の事。大気圏突入イベントから《ガランシェール》に回収されて地球に降下したバナージ。遂にブライトさんも登場!という第6巻だ。
《ユニコーン》のNT-Dの発動からラプラスプログラムが開示した次なるポイントはこともあろうか連邦政府の首都:ダカール。少しずつ自分の運命を受け入れ始めたバナージ。役者も揃い、ようやく話が前向きに進み始めた6巻だった。
またしても《ユニコーン》に主導権を奪われた結果、ギルボアを殺してしまったバナージ。《ガランシェール》のおかげでなんとか生きて大気圏を突破したものの、度重なるショックからすっかり腐抜けてしまったバナージだ。《ガランシェール》は予定の軌道を大きくはずしサハラ砂漠に不時着。地球の重力下では自力での脱出は不可能な状態。すっぽりと砂に埋まって連邦軍に見つかりにくいのは幸いだが、友軍にも見つけてもらえない状態ではいずれは全員が野垂れ死するのみ。そこでジンネマンはバナージを伴い、砂漠を越えて町まで救援を呼びに行くことにする。それは腐抜けたバナージに対する制裁であり、荒療治でもあった。反抗するバナージだがガキの戯言などは当然のように一蹴。《ガランシェール》のクルーにしてみればキルボアを失った痛みはバナージの比ではないし、しかも撃った張本人を生かしておく必要があるのだから心中穏やかなはずがないのだが、そこがプロと素人の覚悟の差なのだろう。
大自然の過酷さは人間などちっぽけな存在でしかない事を自覚させる。また生きようとする本能を目覚めさせる。「大自然ってやつは、人を哲学者にすんのさ」とはジンネマンの言葉だが、大自然と夜の闇は人間を素直にも雄弁にもさせる。バナージはジンネマンたちを動かす過去の悲劇を知り、ジンネマンの真の人となりを心で感じ取り、改めて自分自身を見つめ始めるのだった。
砂嵐に巻き込まれながらもなんとか町に辿り着き、”ドバイの末裔”との接触に成功するジンネマンとバナージ。しかしそこで明らかにされたのは次なる作戦、地球連邦政府の首都:ダカール侵攻。NT-Dによって示された新たなるラプラスプログラムの座標はダカールだった。おいそれとは近づけない場所なだけに建前としても千載一遇のチャンスなのだろう。奇襲によって制圧したところ《ユニコーン》を運び、更なる座標を開示させる。この作戦はフル・フロンタルも了承とのことだった。
”ドバイの末裔”を統べるマハディはジンネマンとは旧知らしく、作戦の裏に隠されたモノを察するジンネマン。マハディと対面し作戦を聞かされたバナージはマハディが好きになれず作戦にも賛同出来ずにいたが、抗える立場でもなく、また当事者の一人として最後まで自身で見届ける責任を持ち始めていたことから、ジンネマンに言われるとおり作戦に参加することを決める。
そのころ北米のマーセナス家にはロンド・ベルの司令:ブライト・ノアが召喚されていた。様々な思惑から正規筋とは一線を置いているロンド・ベルとブライトだったゆえ”ラプラスの箱”とマーセナス家の事情から槍玉に挙げられたのだった。政治的圧力を持って私的に《ガランシェール》つまりは《ユニコーン》の捜索を《ラー・カイラム》に依頼するローナン。更には《デルタプラス》とリディの乗艦という条件も加えられる。少々のことで屈するブライトではないが、どっぷりと《ラプラスの箱》騒動に巻き込まれてしまった配下の《ネェル・アーガマ》の処遇を持ちだされては無下に断れず、承諾するしかないブライトだった。
そして遂にマハディによるダカール侵攻が開始される。サイコミュによって鉄壁の防空能力を持つモビルアーマー《シャンブロ》による一方的な無差別攻撃。不意をつかれた格好となったダカールの人々は避難もままならず右往左往、無茶苦茶な連邦軍の迎撃とでダカールの街は地獄絵図と化す。あまりの理不尽に愕然とするバナージ。新座標開示の為の作戦がマハディの積年の怨恨を晴らす為に利用されたのだと知り、殺戮をやめさせるべく《ユニコーン》の発進をジンネマンに訴えるバナージだった。が、すべてを察していた”軍人”としてのジンネマンは許可しないのだった。
捜索のために近づいていた《ラー・カイラム》は当然ダカール防衛の援護をすることになるが、諸事情からリディの《デルタプラス》のみが先行することになる。けれどダカール混乱は著しく、避難民を回避させようとするリディの孤軍奮闘もむなしく犠牲は増える一方。遂に《デルタプラス》も《シャンブロ》の爪に捕まってしまう。
・・しかし、「ここまでか」という瞬間に何かが起こるのはお約束。一番オイシイところで真打ち登場!(バナージがどのようにしてジンネマンを説き伏せたのかは一番良いところなので読むなり見るなり確認してほしい)。ここから始まる《ユニコーン・ガンダム》と《デルタプラス》の息の合った共闘に燃える!(これは是非アニメで満喫したいところ。ちょっぴり遣り切れなさの漂う結末だけど、この戦闘シーンは見応えあるだろうなぁ)。はじめてバナージが自分の意思で制御する《ユニコーン・ガンダム》で、バナージの成長が顕著になっていて嬉しくなるところだし。
ようやく《シャンブロ》が沈黙し、リディとの再会に心躍らせるバナージだったが、リディの釈然としない態度と”黒いユニコーン・ガンダム”の登場から、またまたどうなるのか分からない展開に突入・・・というところで終わる6巻だ。”黒いユニコーン”=《バンシィ》のパイロットはマリーダで、それは容赦のないマーサの画策によるもので、その卑劣なやり口は読んでいてムカついたので割愛したが、経緯は6巻にしっかり記されているから気になる人は一読を。
そうそう、忘れそうになるくらい少ししか登場していないミネバ。こちらはマーセナス家に軟禁状態で動きは無し。いずれは絡んでくるのだろうけど、すっかり蚊帳の外という意味ではミネバとしても、物語のヒロインとしてもちょっと不憫かな。
だんだん敵味方の境界線があやふやになってきており、それゆえにいざってところで何が起こるか分からない感じだ。《ユニコーン》とバナージの行ったり来たりの繰り返しから”コウモリ”という表現がなされていたが、これぞ云い得て妙なり!ってね。でも、そういうことではなくって・・・なのが《ユニコーン》たるところで、誰もが《ユニコーン》のようになれたならば、ということなのかもしれない。
次巻はズバリ「黒いガンダム」。11月下旬発売予定。
| 固定リンク | 0
コメント
>少ししか登場していないミネバ。
ミネバは次巻で、いきなり舞台の中央に引っ張り出されますから、斯うご期待、というところですね(笑)。
マーサ相手の、女同士の戦いが待っています。
洗脳されたマリーダを見て憤るミネバに対して、抜け抜けと「男に支配されている彼女を束縛から解き放っただけだ」と平然と言い放つ辺り、ラスボス(MSに乗って戦ったりしません。念のため。)にふさわしいというべきですか。
そういえば、角川文庫版ではイラストが無いのですが、ガンダムAに掲載された時はアクア・ジムとゼー・ズールの戦闘シーンにイラストがありまして。
もろに、シャア専用ズゴックがジムの胴体をぶち抜くシーンをパク…再現しているんですがねぇ。
投稿: A.Na | 2010/10/31 20:24
■A.Naさん、こんにちは
そうですか!ようやくミネバもヒロインらしく成りますか。女同士の戦いってところがまた良いですねw(^^)
マリーダの洗脳については女性視点だとかなりキツイところなので省略しちゃいましたが、マーサの言い分は否定しきれないまでも正しくもないと憤りましたから、ミネバがソコントコを代弁してくれると思うと楽しみです。
発売日もありますが、スニーカー文庫ならばそんな感じの挿絵が入ったりするのでしょうか?
歴代のガンダムはファーストをリスペクトしてあちこちでオマージュ満載ですよね。
そうした戦闘シーンはアニメに登場することを期待しましょうか(^^)
投稿: たいむ(管理人) | 2010/11/01 21:32
>スニーカー文庫ならばそんな感じの挿絵が入ったりするのでしょうか?
ガンダムUCの単行本は角川コミックエース版が全巻発売された後、アニメ化に伴って角川文庫版とスニーカー文庫版(内容は三種とも同じ)が発売されました。
残念ながら、スニーカー文庫版には例の挿絵は入っておらず、角川コミックエース版の206頁にしか描かれていない様です。
ついでに申しますと、この巻の別のイラストが結構重大な伏線なんですが、残念ながらこれもスニーカー文庫にはありませんでした。その伏線は文章にも書かれているのですが、イラストが無いと気づきにくいと思います。
投稿: A.Na | 2010/11/06 11:57
■A.Naさん、こんにちは
そうですか、スニーカーでもないのですね。
挿絵はイメージするのにとても効果的なのだけど、UCについては、あえて挿絵のない角川文庫を選んでいるワケでありまして、アニメには小説とは違う別のところに期待をしています。
伏線に閃いてニヤリ・・というのも良いけれど、そこらへんは答え合わせの後の2回目以降にとっておくことにします(^^)
投稿: たいむ(管理人) | 2010/11/06 23:31