「カティンの森」みた。
歴史的背景と事実を簡単に言うと、1939年9月17日にソ連がポーランドに侵攻、ドイツとソ連の両方から攻め込まれたポーランドは敗北。合わせて20万人以上のポーランド人が捕虜として収容所へと強制送還されることになる。その内のソ連側の収容所に送られたポーランド将校約2万人が1940年スターリンの指示によって射殺され密かに”カティンの森”に埋められた。1943年ドイツ軍がそれらを発見、赤十字社立会いの元で調査を開始する。
ドイツ側は法医学的な検知から遺体は1940年春頃に殺害(虐殺)されたものと発表するが、ドイツの発表にはソ連が反発、カティンの虐殺事件はドイツの自作自演であることを主張。以後ポーランドではカティンの惨劇の真相に触れるすべての事実を語ることがタブーとされる。
映画では、結果として捕虜となったポーランド将校の手帳が真実を物語る決め手として描かれているが、作品自体の視点は捕虜となった将校たちの家族になっている。カティン事件発覚後も夫の生存を信じて待ち続ける母と妻と娘、首謀者がソ連であることを極秘に知らされた将官の妻、被害者である兄の墓標に真実を刻んで捕えられる妹ほか、カティン事件に関係し翻弄させられた、それぞれ家族の苦悩や想いが中心となってストーリーは展開していく。彼らは虐殺に対してやり場のない怒りと悲しみに打ちひしがれながらも、何より憤っているのがソ連の汚いやり口だった。家族をはじめそんな不条理に屈することなく勇気を持って立ち向かおうとする人々も少なくなかったが、理不尽だらけの世の中は容赦なく彼らを排除しようとするばかり。
俄か学習だが、1989年、カティン事件が旧ソ連よるものだったことをロシア政府が認めているとのこと。けれど事件の発生から約50年も経ってやっとであることがなんとも嘆かわしい。とはいえ50年後でも認めたことは関係者にとっては非常に意義があることで、戦争が引き起こした様々な事実は決して風化しないのだと強く感じた。
映画のラストは移送されたポーランド将校がカティンの森で次々と殺害されるシーンになっている。これがかなりキツくて衝撃的な映像。けれど殺される将校たちより淡々と殺害するソ連兵が気になってしかたがなかった。おそらく戦犯として処分されることすらなかったであろう彼らはどんな戦後を過ごしたのだろうか、と。
今となっては与えられる情報から戦争の事実を知ることしか出来ないが、無知は恥、時に罪と心して、出来る限り知る機会を逃さないようにしたいと思っている。
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コメント
正直言うと、ドラマ部分に関しては群像劇風に描かれていたこともあって、誰が誰でどういう関係なのかが観ていて非常に解りづらかったんで、今一つ感情移入しにくかったです。
ただこの作品は、監督のお父上が犠牲者の一人であり、純粋に映画という手段でこの事実を世界に向けて発信したかったのだと思いました。
『戦場でワルツを』の“サブラ・シャティーラの虐殺事件”は20年前、本作の“カティンの森”事件は70年前、50年間人間は何も進歩してなかったのでしょうか…。
投稿: KLY | 2010/04/08 00:05
■KLYさん、こんにちは
時代的にみんな地味で同じような服着て、髪型しているからぱっとでは見分け付かないんですよね。しかも捕虜となった将校たちについての説明がないから相関関係がなかなか把握できないのね。
人間の歴史は血が付きもの。戦争(戦い)の歴史のない国ってきっとないですよね。あったら知りたいかも。
投稿: たいむ(管理人) | 2010/04/09 08:10
たいむさん、こんばんは。
私も恥ずかしながら勉強不足でポーランドでのこの事件の事はまったく知らなかったんですが、この映画を見て改めて少しだけ勉強しました。
私は、広島で生まれ育っているので被爆体験を身近に伺う機会も会ったり毎年8月6日は平和学習とかしてきました。
なのでこういう映画を見ると、過去にあった事実をこうして教えてくれる映画が見れると言うのはとてもありがたいですよね。
投稿: Hitomi | 2010/04/12 21:11
■Hitomiさん、こんにちは
ああ、そうでしたね。広島でしたよね。
人間の歴史は戦いの歴史みたいなもので、そこかしこに悲惨な話が埋もれていそうで切なくなりますが、人間はすぐに忘れてしまう生き物だから、こうした作品ででも形を残して行くことが大切かもしれません。
現在進行形で戦争は地球のどこかで続いているけれど、戦後の子供たちは日本の子供たちだけではなさそうです。平和であることには感謝したいけれど。
投稿: たいむ(管理人) | 2010/04/12 22:54