『陰陽師~天鼓ノ巻 : 夢枕獏(著)』 よんだ。
約2年半ぶりの「陰陽師」シリーズの新刊は、2008年から2009年に《オール讀物》にて掲載された7篇:「瓶博士」「器」「紛い菩薩」「炎情観音」「霹靂神」「逆神の女」「ものまね博雅」と、《京都宵 異形コレクション》にて掲載された1篇:「鏡童子」の短編八篇が順に収録されている。
既に”サザエさん”のように何度も四季が繰り返されているのに”歳”は取らない「陰陽師ワールド」と考えて良いと思うが、すべての過去の出来事がちゃんと経験値として蓄積されているのは”サザエさん”と少し違うところ。よって(個々は読み切りだが)執筆順に読むのが好ましいシリーズで、今回、本来ならば「鏡童子」は「ものまね博雅」以前に来るべき話なのに、掲載誌の違いからか、番外編のように最後に収録されてしまったことを少し勿体なく思った。
さて、これは毎回同じことを書いているような気がするが、相変わらずの清明と相変わらずの博雅のコンビを微笑ましく思いながらスルするっと読めてしまうのがこのシリーズと思う。(実際ページ数も文字数も多くないし)。
いつもどおり、清明と懇意にしている博雅が、厄介事に悩まされている貴族の誰かに頼み込まれて清明のところへ助けを求めるというパターンがほとんどで、話を聞いただけで概ねのことを理解し、「ゆこう」「ゆこう」と出かけて行き、難なく解決してしまう清明というのもいつものパターン。その際、清明に「分かっていることを教えてくれ!」せっつく博雅に対して、「分かっているが、分からない」として「いずれ時が来れば分かるさ」と、決して手の内を明かさない清明なのもいつもどおり。毎度のことながら、こうしたやりとりが面白いのだよね。収録話の中では「ものまね博雅」での博雅の弱りようが笑える話でイチオシ♪
最近は「呪」の話を避けようとするばかりの博雅だけど、今作では「では別のたとえにしようか」という清明の巧みなすり替えに気が付かず、結局「呪」の話になってしまったのが可笑しかった。(やはり清明が一枚上手だ)。でも2度は騙されなかった博雅で「博雅もかなり成長した(慣れた)なぁ」と思うところで、しかも清明が言うとおり博雅本来の素質も着々と開花している様子も伺われる。そうしたことで益々清明は博雅に一目置くのだけど、その物言い(褒め言葉)が、なんでかおちょくられているように感じてしまう博雅で、そういう博雅の反応も含めて愉しんでいる清明、という図も良くって好きだ。
ところで、「天鼓ノ巻」ではほとんどの話に蝉丸法師が登場している。陰陽師シリーズは蘆屋道満や賀茂保憲など準レギュラーが集中して活躍?する巻があったが、そういう意味から「天鼓ノ巻」は”蝉丸篇”と言ってもいいかもしれない。中でも「逆髪の女」は蝉丸法師自身のお話だったりもして、執筆中、獏さんの内で”蝉丸ブーム”だったのかなぁーと思うところである。
陰陽師シリーズも20数年続くシリーズとなった。既にワンパターンではあるけれど、内容は平安の昔という、いつ読んでも問題のない物語であり、このまま変わらずずっと続いて欲しいなぁと思っている。
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