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2009/03/06

『お伽もよう綾にしき』(全5巻)読んだ。

Otogimoyouayanisiki 『花咲ける青少年』が引き金となり、古くからの愛蔵書を引っ張り出しているこの頃。今回はその中からひかわきょうこ作品を手に取った。「千津美&藤臣くん」シリーズや「ミリアム&ダグラス」シリーズ、そして『彼方から』がお気に入り。
ひかわ作品では、純で一途だけど、決して器用な部類ではなく、容姿も10人並なフツーの女の子がいつも主人公。だけど、心優しくて思いやりがあり、いざって時には人一倍な根性を見せてくれる芯の強い女の子だったりする。(思うに、男が守ってあげたくなる女の子を描かせたら、おそらくこの人の右に出る漫画家さんはいないんじゃないかと、密かに思っている)。

よって、いつも抜群に強くてカッコイイ、でもちょっと感情表現が苦手なイイオトコが登場し、主人公と行動を共にしている内に、いつしか心を通わせていくといった物語が描かれるのが定番。所謂、ドジっ子とデキルオトコの吊り合わない図式。それでいて、がっちりと心を鷲掴みされているのは大抵男たちのほう。一見お荷物な彼女の、強き本質を見抜けるだけのデキル男なだけに、彼女に癒されているのが自分だと気が付いてしまったらもうトコトン惚れ抜いちゃうでしょ(^^)。一方、彼女のほうは最初からデキル男に憧れを抱いて尊敬しているのだけど、親しく付き合う内に、強き彼のウチに隠されたモノを感じて心惹かれ、冴えない自分でも彼の足手まといにならないようにと、自分に出来る事を必死に頑張り始めるようになっていく。そんな健気な彼女を見て彼は一層愛情を深め、彼の気持ちに応えようと更にイイ女になっていく彼女・・とまぁ、恥ずかしくなるくらいの相思相愛な相乗効果が発揮され、守っているようでいて守られている、守られているようでいて守っているという対等な関係での、互いにかけがえのない存在となっていくわけだ。お伽噺みたいなものだけど、コレが実に心地よくって大好き!

『彼方から』前後の作品は読んでいなかったが、3月に完結巻が発売される連載があると知って俄かに興味を持ったのが2月の話。それが『お伽もよう綾にしき』。早速読んでみて、昔からほとんど変わらない絵がやっぱり好きだと思う。

この物語は、室町時代のお話で純和風ファンタジー。
生まれながらに物の怪の類を操れる力を持った娘:すずと、彼女の師匠でもある父(実の父親ではなく成り行きから父(ととさま)と呼ばれた青年):新九郎の物語。もちろん上記の公式にもぴったりと当て嵌まっている。
2人が初めて出会った時、すずは7歳、新九郎は18歳。孤児で、また奇妙な力を持て余し困っているすずの面倒を、同じ力を操れる新九郎が任されたことが切っ掛けだ。”大きくて強くて優しくてあったかい”新九郎を父親のように慕い、すっかり懐くすず。最初こそ迷惑がっていた新九郎だが、すずの力の強さには驚愕し、抑える力を指南しながら健気なすずを可愛がりはじめた。ところが、仕事で世間を揺るがず魔物(使い)退治に出向いた新九郎はそのまま消息を絶ってしまう。世間では魔物と相打ちし、命懸けで国を救った英雄として新九郎は讃えられ、9年後の現在に至っている。その後のすずはずっと新九郎の教えを守り続け、力の制御も多少なりとも出来るようになり、いっぱしの娘へと成長していた。ところがひょんな事件に巻き込まれて以来、すずの力は重宝される事となり、お家騒動に絡んで再び世間に現れていた魔物退治に奮闘する日々となった。
幼き頃からすずに纏わり付いていた(おちゃめな)物の怪らを使役し、また新九郎の形見の笛からは新九郎そっくりなモノノケ(”おじゃる様”と命名)が出現。実は新九郎は時を止めたまま異世界とこの世の狭間に閉じ込められているという事実が判明したり、”おじゃる様”の正体や新九郎との関係などが除々に明らかにされたりしながら、物語は進行する。
この物語での肝は、やっぱりすずと新九郎の年の差が一気に無くなってしまうところだろう。父親代わりと幼い女の子の関係から、突然年頃の射程圏内に変わってしまった2人の動揺が実に愉快。一旦は”父親代わり”という、過去の微妙な関係がネックになるが、結局は父親を知らないすずの、「ととさまの定義の問題」ということで一件落着。つまり、”ととさま”とは「大きくて強くて優しくてあったかい」と教えられたから、その人(新九郎)が”ととさま”だと思い込んだすずであり、新九郎が大きくて強くて優しくてあったかかったから好きになったのだ思い出し、「新九郎が好き」という感情に於ける「ととさま≠父親」に至ったという感じ。
お高くてワガママキャラな”おじゃる様”が実にナイス!式となったトボケた物の怪(妖精?)たちも可愛いが、結局彼らは謎な部分が残ったままで、もっと掘り下げて描いてあったらなーという感じ。それでも何より良いのは村人達がそれらの存在や奇妙な現象には全く突っ込こむことがなく、当たり前のように彼らと接するのが良い。だから読み手も何でもありなバリバリファンタジーの設定を素直に受け入れられるんだよね。

『お伽もよう綾にしき』も、人間同士(それ以外のモノでも)の触れ合いが温かく描かれ、とにかくポジティブ思考と行動力で紆余曲折を乗り切って、最後は必ずハッピーにたどり着くようなおとぎ話だった。”付録で連載”せざる得ないだけの諸事情から、怒涛の日々の中での連載だったとのことであり、確かに『彼方から』に比べると少し物足りなさも感じるし、被るネタも見られるように思ったけれど、描き切れなかった部分はいずれ改めて「続編」で対応したいとの旨が、作者の欄に書かれていて嬉しく思った。その時を楽しみに待つことにしよう。
ほんかわとした読後感をくれるひかわ作品って、やっぱりいいなーって思う。

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