『海の底』 有川 浩 〔著〕
既刊分の有川作品はこれで制覇となった。それぞれが違う世界観で描かれている”自衛隊3部作”(陸:『塩の街』、空:『空の中』、海:『海の底』)。小説は出版順に読む方がしっくり来ることが多いが、シリーズや続編を除けば”自衛隊3部作”でさえクロスしていない有川作品のため何処から読んでも問題はなく、私は諸事情から『海の底』が最後になった。
有川作品の大半は、ラブコメ及び荒唐無稽なSFファンタジー路線で、無愛想だがデキル男と一本芯の通った頑張り屋な女の子がまま登場する。デキル男には惚れ惚れしつつも、なかなか纏まらないカップルを応援しながら世間を揺るがす大事件の収束を見守ることになる。当然、『海の底』も例外ではない。(以下、気合いが入り過ぎてしまい長文です)
『海の底』のさわりは以下の通り。
海自の潜水艦「きりしお」に実習幹部生として研修中の夏木と冬原は、同期同格(三尉)の親友同士。どちらも優秀ではあるが平時にはアクが強過ぎ、上からは”問題児”扱いの2人だ。しかし「きりしお」の川邊艦長は2人を高く評価しており、「問題児を一手に引き受けられるのは彼だけ」と讃えられるほどの傑物だった。基地の一部が一般開放される「桜祭り」で賑わっていたある日、港と基地は無数の巨大甲殻生物の襲撃に合う。エビともザリガニとも付かない巨大生物はハサミで人間を襲いながら捕食をはじめ、会場は逃げ惑う人々の阿鼻叫喚で大混乱となる。「きりしお」には緊急出航の指示が出されるが時既に遅く、搭乗員には脱出命令が下される。夏・冬コンビと川邊艦長も退去するが、途中逃げ遅れた13名の子供を発見して救出に向かう。しかし竦んで動けない子供たちに手間どっている間に行く手は遮られ、止む無く「きりしお」に退避することを選択。命からがらやっとのことで「きりしお」に逃れた夏・冬コンビと子供たちだったが、最後の最後に川邊艦長という多大なる犠牲を払う事になる。子供たちの為に命を張った川邊艦長の、唯一残された身体が腕一本という凄惨な現実に悲嘆する夏木と冬原。それでも「全員の生還」という己がを果たすべき義務を真っ当するため行動を開始する。町内会で「桜祭り」に来ていた高校生の女子1名に、中学~小学低学の男子が12名。陸は未だ大混乱が続いており救助の目途すら立たない最悪の状況。稼動中の潜水艦だっただけに寝床や当面の食料には事欠かないが、民間人(しかも未成年児)を多数収容した状況で長引くのは非常に宜しくない。かくして、様々な問題を抱えたまま自衛隊員2名と13人の子供たちの、孤立した空間での共同生活が始まることとなった。(ちなみに、夏・冬コンビが果敢に巨大生物と戦う話ではない)
あとがきによると、当初は『15少年漂流記』っぽいものになる筈だったらしい。結局大きく逸脱した作品になっているが”孤立した空間”は同じく、ある程度の人間が狭い空間に集まれば、必ず人間関系など色々なトラブルが発生するもので、そんな「きりしお」内でのドラマと、レガリス(巨大生物の名称)と命懸けで戦う”機動隊”(自衛隊ではないところがミソ)&対策本部の奮闘ぶりといった2本立てで話は進行していく。話の流れから「一日目」、「二日目」・・という章タイトルには別の意味が込められていると勘繰れるし、大人社会の縮図のような子供社会の再現が実に上手い。それにしても必ずいるのが「ボクちゃん」と「大人になっても問題児」って言うのが良いね 主人公は一応夏木と高校生の望っぽくなっているが、冬原も殆ど対等な扱い。どちらも良いオトコだけど、私はやっぱり熱血直情型の夏木より、器用でソツのない冬原の方を気に入ってしまうだな~。(とはいえ、同タイプの冬原と小牧ならば小牧だけどw)
どちらのパートも憤りと我慢の繰り返しで決してテンポの良い作品ではない。謎の生物襲来のパニックモノというよりは、即座に収拾できる力を持ちながら、尻拭いの回避や保身ばかりを優先させて決断を先延ばしにする政府と、煮え切らないお上と法律の壁や組織の限界に苛立つ現場との温度差、そして目にした事実と思い込みしか信じない世間一般と無責任に煽るだけのマスコミ、といった”有事の宙ぶらりん”を描いた物語と思ったほうが良いだろう。(お膳立てが整えば一気に解決しちゃうんだから)
この作品を読んでいると、映画やアニメに良くある”有事のヒーローモノ”は、その殆どが規律・法律クソ食らえなワンマン暴走刑事(もしくは国家組織の一員)か、突発的に事件に巻き込まれたちょっと器用な民間人の何でもアリな戦いのどちらかのパターンだという事に気が付く。それらの作品では、主要組織とは融通の利かない役立たずなものと描かれる事が多いが、それもそのハズで実際にも雁字搦めな組織ではまったくお話にもならないということが、この作品で証明されたようなものかもしれない。主流の正規隊員には決してヒーローは生まれない。そんなネタを逆手にとって、リアルさとキャラクターの魅力で一気に読ませてしまうパワーを作りだす有川先生は大したものだ。
「3部作の順番は無視しても差し支えない」と上で書いたが、『海の底』は次回作にあたる『図書館戦争』との類似点を一番感じる作品に思う。どうも『図書館戦争』の下地はここで出来上がったように思える。弱くて強い女性キャラクター達は最初からどの作品でも同じだが、夏木・冬原コンビは堂上&小牧にカナリ近く、夏木よりガサツさを抑えた堂上で、冬原から少し毒気を抜いたのが小牧といった感じだ。警察側のキレモノ問題児烏丸参事官と現場主義の明石警部は併せて玄田となり、川邊艦長は勿論稲嶺司令だ。保護した中に喋られない子供(障害児)が混じっているところ等も、通じるところがある。
いまや有川作品の真骨頂とも言える、ありえない事件とありふれた日常を絡めつつ、要所要所に社会派要素を盛り込んで、サラリとぶった斬る作風はこのあたりで確立したと推測する。
少し脱線するが、武器は携行はしていたが使用が認められていない状況のままヘリからの救助を試み失敗したところで子供から、
「なんで撃たないんだよ。俺たちを助けるために居るお前らで、こんな時に使えない武器に何の意味があるんだよ!」
・・と批難されるところがある。その時冬原は、
「そんなこと俺たちに言われても知らないよ。俺らは与えられた状況で最善の努力をするしかない人々なの。状況に異議を唱える権利は最初からないの。何でいま武器使えないんだとかね、そういうことはそもそも考える権利もないの」
・・と答えるのだが、現行の法律や仕組みを鑑みれば「まったくその通り」なんだよね。冬原個人としてなら同じく噛付きたい心理なのが分かるから、大人として冬原の正論を受け入れられるけれど、それでも別問題として納得は出来そうにない。
「持っ
ているのに使えない力」、「使ってはいけない力」。なんじゃそりゃ?である。「では、何の為の力か」って事でもあり、例えば”抑止としての核”も含めて矛
盾だらけが浮き彫りになるわけで、非現実的なこの作品の中にある”リアル”な部分は流すことなく真剣に受け止めて、今後も考えていく必要のあるテーマとし
て扱うべきだと思った一幕だった。正直なところ、有川作品を読むようになってはじめて自衛隊に興味を持った私。警察と自衛隊の明らかなる違いや線引きを分
かっていたつもりでも、まだまだどちらの組織も良く知らない自分を確認した。とはいえ一般的に誤解されているだろう活動が多々あるようにも思え、防衛省や
警察庁はもう少し広報活動に力を入れたほうが良いように思う。知りもしないで叩く輩も居るが、それ以前に周知と理解を求めない方もやはり怠慢だろう。『海
の底』の事件は無事に解決し、その後に不手際がどれだけ糾弾されたかの後日談はない。何の改善もなされない現凶は残りっぱなしだろう。内と外とを同時に変
えていかなくちゃ、古き悪しき体質がいつもでも残り続ける政府と自衛隊なんじゃないかな?
ところで、夏木&望と冬原のサイドストーリーがそれぞれに『クジラの彼』に
収録されている。冬原の結婚は『海の底』の中で発表されているが、彼らの恋愛期の苦悩を、待つだけしかない彼女の視点で描かれているのが『クジラの彼』
で、『海の底』から更に5年後の夏木と望を描き、夏木が紆余曲折の果てに漸く望にプロポーズするまでの話が『有能な彼女』だ。『海の底』とあわせて読むと
一層楽しめると思うのでお勧めしたい。(但し、『空の中』の続編も収録されているので、後でも先でも両方を読んでからがベター)
参考までに画像を添付。
(左)潜水艦の断面模型:人型模型の大きさから窮屈さがわかると思う。
(右)艦内のトイレやシャワー室:どちらも電話BOX程度の広さだ。
(※画像クリックで拡大)
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コメント
こちらもどうもでした
怪獣パニック物語でしたが
政府の対応能力への疑問とか
村社会の論理を別世界へ持ち込む
不条理とか、色々深いものを感じました
解決策の遅さがもどかしかたったですが
その分最後はスッキリでしたね
投稿: くまんちゅう | 2009/05/28 22:46
■くまんちゅうさん、こんにちは
>政府の対応能力への疑問・・・
意外と知らない真実とかが描かれてたりしますし、勉強にもなる有川作品ですね。
怪物ものなので思いっきりファンタジーだったけれど、まとめ方はgood。それでも一番怖いのは人間ってやっぱり思ってしまうのは何故でしょうね?
されど人間、ベタ甘が中和してくれる事に嬉しくなる有川作品で。
投稿: たいむ(管理人) | 2009/05/28 23:31