アニメ「図書館戦争」*第11話
状況一一「死闘!茨城県展警備」
遂に緊迫のラストバトル開始。改めて「図書館」側も一枚岩ではないといった事実が明らかにされ、深刻な事態へと発展しかねない状況へ追い込まれたタクスフォースか。しかし、人間の想いなど所詮千差万別。同じ組織でも「何を優先し、何を守りたいのか」という志の違いはあるのが当たり前と言うもの。手塚慧しかり、須賀原館長しかり・・・。
ラストバトルは今までになく激しいものになると、現場の(優秀な)上官らは肌で感じ取り、既に承知していた。柴崎の情報はその裏づけだ。
「最後は自分の命を優先しろ」と、いつもの堂上らしくない・・いや、いかにも堂上らしい郁への指示は、明らかに公私混同かな~?(^^)。
狂気じみた戦闘行為からルール違反まで。この手のシークエンス場合は、アニメーションという視覚的情報量多さが小説のソレを凌駕する。よって半分近くを占めた戦闘シーンを、ずっと悲痛な面持ち見続ける今回となった。
戦場さながら、本気で生死をかけた死闘が繰り広げられる現場。両隊員とも被弾・負傷者相次ぐ修羅場。やがては遠距離銃撃戦から近接戦へ舞台は移動し、2陣営を隔てるものは最早バリケードと盾一枚。銃の使用は相手に致命傷を与え兼ねない状況だが、躊躇したらコチラが撃たれる状況に陥っている。
政府や警察の暗黙の了解の元での「図書」をめぐる武力抗争など、まったくもって荒唐無稽だが、一応ルールとタイムリミットがあるのが救いというか、逆の意味でありえない戦闘行為。時間まで耐えれば生死の危機からは回避できるものとして、郁に後退を指示する堂上。しかし最後まで”伝令役”として堂上の傍を離れないと言い切る郁。郁は決して強がっていたわけではないが、眼前に広がる異様な光景に呑まれ、人間の狂気に中てられて、遂には近接射撃にいたってしまうのは道理かもしれない。
幻視と無音で表現した郁の心情がビンビンと伝わってきた見事なシーンだった。原作では嘔吐し、郁の精神的ダメージ(甘さと純粋さ)の大きさがより伝わってくるのだが、『図書館戦争』は戦争(戦闘)行為に葛藤する兵士を描いた作品ではないことから、アニメの絵的にも無くて正解かな?
上官として皆を守った郁を称える堂上。もろろん郁の激しい動揺を理解してこと。しかし、抱きしめて、小牧の無線報告からも、郁が誰も殺していないことを強調して宥める堂上は、ほとんど越権行為のようなもの。折角の萌えどころでもあるし、こんな時だけどこんな時だから知りたい堂上の真意を気にする郁のモノログをちょっとでも入れて欲しかったかな。
そして、タイムアップにも関わらず、勢い余り引っ込みが付かなくなった良化隊員に蜂の巣にされる玄田が凄まじかった。原作ではこの場に居合わせる郁と堂上で、乱射から郁を守る為に覆いかぶさる堂上に、再び「きゃぁー」って萌えるところだった。
アニメの最大の見せ場としては、玄田と共に撃たれる堂上になるのでは?とヒヤヒヤしていたが、さすがに「男・玄田」の見せ場は横取りせず。結局アニメ用のアレンジは「火達磨」だったが、いやはや。原作で火達磨になるのは別の上官なのだが、整形が必要とかでかなり不憫なんだよね(^^;。(ってか、火達磨かどうかはまだわかんないけど) やはり、生死に関わる負傷は、ドラマチックに仕立て上げやすいってことなんだろうけど、すこしばかり萎える私だ。
完全オリジナルとしては小牧と因縁ある良化隊員の一件が良かった!
原作では一切良化隊員個人に触れられたことはなく、モロに”敵”で、誰も横柄で傍若無人に感じられたところ。確かに大半はそうなのかも知れず、しがらみに塗れ、「何の為に闘うのか」という意義や理由すら持たない輩ばかりで組織されている部隊だと漏らす隊員の本音が物語っている。しかし、同時にこの隊員の告白は、無関心とはまた異なった、世の中の理不尽を甘んじて受け入れてしまう人々の心理を代弁した発言として心に残るところだった。分っていても正せないものがある。・・・認めたくは無いけれど。
他、あまり出番はないが、メキメキと腕を上げている手塚が良いね。射撃での、奢らず謙遜しすぎない発言が特にgood!こうした受け答えでは上手く立ち回れる手塚なのに、兄や柴崎には弱い手塚は可愛いなーって思う。
さぁて、いよいよ次回は最終回。感想を書くたびに原作を引き合いに出しているけれど、アニメのアレンジをとても上手いと思っている私である。果たして堂上は?玄田は?おそらくアニメオリジナルな結末だろうと期待している。終わっちゃうのは残念だけど、とりあえずは楽しみだ!
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コメント
小牧とあの良化隊員のエピソードはアニメオリジナルなんですね。でもあれは戦争という非常事態に置かれている両者にも関わらずどこか人間味が溢れていて結構良かったです。
それにしても郁の愛しの王子さまはどうなっちゃうんでしょう?せっかく見せ場がやってきた玄田隊長のことも気になります。
しかしそれよりもちょっと気になったのはあの茨城館長ってどこか『少林老女』に見えるのは私だけでしょうか?
投稿: にゃむばなな | 2008/07/05 22:04
■にゃむばななさん、こんにちは
>小牧とあの良化隊員のエピソード
そうなんですよ。小牧のあの回がそもそもオリジナルですから、あそこで出会った人たちもオリジナル(笑)
でも良かったですよね、ここ。
憎しみあって殺しあっているわけではない者達ですから、プライベートでの買い物で出会えばあんなものかもしれません。
>それにしても郁の愛しの王子さまはどうなっちゃうんでしょう?
大丈夫だとは思いますけど、これもオリジナルなんでドキドキしてます。
病院に担ぎ込まれる堂上に、テンパった郁の取り乱しようから、何を口走るかが楽しみなところですねw
玄田は、頭に喰らってないし、殺しても死なないだろうって思いますが、蜂の巣なだけに心配ですよね。
>『少林老女』
うーん、こちらは未公開です。
投稿: たいむ(管理人) | 2008/07/05 23:45
そーかー、原作では吐きますか。私はあの手が震えて弾倉を交換できないシーンで「おお、今のアニメはこれを演出できるところまで行ったか」と感動すらしました。
本当にパニクってると、手が震えてしまっている事実を郁自身が理解できないんですよね。
ごくありふれたはずのこのシーンですが、新兵の戦闘シーンできちんと描ける映画監督は超リアル戦争映画王国の韓国でもそうそういませんよ。(今の邦画とハリウッドには、まずいないと言い切れますし)
ずっと気になっていた実弾による戦闘なんですが、仰る時間制限といい、堂上が「弱装弾でそうそう死ぬヤツはいないから落ち着け」って郁をたしなめるのを聴いて、“運が悪けりゃ死ぬけど、基本は疑似戦闘行為”………つまり実はこの戦争、半分本気だけど半分は政治的なジェスチャーなんだよ…とさりげに視聴者に説明したものだと思ったんですが、そのへん原作では最初から殺人を目的にした本気の戦闘だという定義なんですか?
投稿: よろづ屋TOM | 2008/07/06 14:09
■よろづ屋TOMさん、こんにちは
>おお、今のアニメはこれを演出できるところまで行ったか」
素人が銃を撃ってパニック&ヒステリーというシチュエーションならば、古くは「伝説巨人イデオン」などにもありますが、郁のような、体と心の分離といった描写はそういわれてみれば、って気がしますね。
>基本は疑似戦闘行為
残念ながら(?)原作は「擬似」では無いことにはなっていて、決してパフォーマンスではないんです。
最初から殺人を目的にした戦闘ではないけれど、”日野の悪夢”が武力装備の切っ掛けになっていたとの説明のとおりで、エスカレートして、歯止めが効かなくなっている状態ですね。それでも図書隊の力は、あくまでも「守り」の力。図書隊からは絶対に発砲しません。
良化隊・図書隊の抗争は、超法規的性質のものとして、一切司法が介入しないといった設定で、死傷すら超法規措置が適用される怖い世界観です。ただし、「抗争が公共物・個人の生命と財産を侵害しない限り」との定義があり、一応デッドラインがあり、民間人を捲き込むのはタブーです。
「図書館」に付属する施設・備品及び人員は、超法規の対象となりますが、住宅地での発砲はなんであれダメ。時間制限も民間人の出入りが始る”開館時間”だからなんです。良化隊は国家組織でもあり、贔屓されているので騙まし討ちが十八番。不介入を理由に起こった悲劇が”日野の悪夢”。常に図書館は不利で苦労が多いんですよ。
小牧が撃たれたエピでも、両方が描かれていましたよね(^^)
ムリムリとはいえ、納得させるだけの設定をきちんと施している原作は秀逸です。でも現実を思うと荒唐無稽なファンタジーですよね(笑)
最終的には「武装解除」の道へと向かってることが匂わされますので、誰も望んでいないってわかかるんですよ(^^)
投稿: たいむ(管理人) | 2008/07/06 18:33