『レインツリーの国』 有川 浩 〔著〕
『図書館内乱』の劇中にて登場した架空の本『レインツリーの国』が、そのまま有川浩(著)で現実化したのがこの本。スピンオフじゃないので、オリジナルな書籍扱いでもある。ただし設定も内容もすべて劇中で話されていたものだから、『図書館内乱』の読者には、特に感慨深い作品になること間違いなし。(もちろん単体としても申し分ない)
正直なところ、『図書館内乱』で聴覚障害者の女の子の恋愛物語とされていたことから、やや及び腰となってなんとなく手が出なかった本だった。偏見を承知で言えば、「重そうじゃない?」である。ところが、読んでみたら、ほぼ一気読みだった。有川作品なだけに、甘さに酔えるところもあるしね(^^)。・・でも、やはり「重さ」から居心地が悪くなるのも確か。自分の無知と無神経さを思い知らされ、申し訳なく思ってしまうんだよね。
冒頭には「おわっ!」っと思った。ひとみと伸の出会いの切っ掛けには、私もメル友やブログ友と似た体験を持っており、思い切り共感。劇中本として登場する「フェアリーゲーム」についても、やはり現実で似た事例に思い当たり、同じように納得が行かなかった結末とその理由を、再び考え初めてしまう自分がいた。ひとみの難聴が明かされ、ギクシャクし始める辺りからは『図書館内乱』と”小牧と毬江”を絡めた感想が頭に浮かび、次にはこの本を読む”健聴者”的な感想がよぎりはじめる。とにかく思考が錯綜し、感想を書くにもドコの何についての感想を書いたら良いのか迷いまくり。一応↓↓の感想になったけれど、ちょっと重くなっちゃったかなー。
ひとみと伸の出会いはネット。伸がひとみの記事(文章)に共感してメールを送ったのが最初だった。思いがけず、即レスで応えてくるひとみに舞い上がる伸。ひとみの障害はネット上ではまるで障害にならないことから、共通の話題からどんどん盛り上がる2人になった。しかしハイテンションなのはここまで。伸がオフを申し出たことから暗い影を落とし始める。(私は『図書館内乱』から、最初からひとみが難聴者であることを知っていた為、オフでのひとみの言動の不自然さを切なく思いつつ、成り行きを見届けることになってしまう。)
中盤からはほとんど喧嘩の応酬。綺麗事では済まされない、終わりなき現在進行形であるひとみの聴覚障害はそのまま2人の障害になっていく。例えるならば”文化の違いによる価値観の相違が齎す悲しきすれ違い”のようなものだろうか。互いの思いやりは空回りし、相手の想像力不足に対する苛立ちから痛恨の一撃を放って傷つけあう。どちらにも非があるし、もしかしたらどちらもにも無い。根深く、デリケートな問題が絡むだけに難しく、地雷原のアチラとコチラに立たされ、さあどうする?って言われてるようなものに思えた。
「不幸自慢」や「出来ない理由探し」ほど無益で虚しいものはない。幸せ・不幸せの定義自体が千差万別だというのに、不幸がエライかのように大きさを比較して何になるというのか。人はなぜ自分の物差しだけで物事を計ろうとしてしまうのか。(頭では分っていてもツイ・・と成りがちなだけに痛いところ。でも、障害を持つひとみに、あえてこのような痛い指摘をした伸にはちょっと驚いたけど、エライ!とも思ってしまったのは傲慢かな?。)
結局、それでも「好き」という今の気持ちに嘘はない。人と人とが完璧に分かり合うことなど不可能だと前提にしながらも(注:ネガティヴに考えないこと)、互いに歩み寄り、割り切るのではなく、折り合いをつける方法を模索してみないか?と提案したのも伸で、そもそも原点がずれているのだから、同じ波長であっても平行線にしかならない2人で、一致させることは永遠に出来ないかも知れないけれど、それでもベクトルは同じであることを支えに、行けるところまでは行ってみよう!と勇気を奮い立たせるのがひとみだった。
そこで、物語は終わる。その後どうなったかは一言も触れられていないが、最後の最後でおとぎ話にならなくて良かったと思った。
いくつの頃だろう?まったく耳の聞こえない人が上手に喋れないことに気がついたのは。情けないことに、その理由に思い至ったのは更に後のことだったように思う。言い訳がましいが、ぶっちゃけ、興味もなければ体験もできない事に対する人間の理解度なんて、そんな程度のものなんだと思った。事が「障害」云々となれば、軽々しく口にする人もいないし。
『図書館内乱』では、聴覚障害にもいろいろあるのだと、実は初めて知った。愕然とした。私も良化隊員と同じ程度の認識しか持っていなかったから。『レインツリーの国』では、もう一歩踏み込まれた現実を知ることとなった。作者の有川さんは、何かを訴えようと書いたのではなく、「ただ、難聴者の恋愛物語」を書きたかったのだ、と後書きで言われていた。それでも私にとっては、聴覚障害という自分にはまるで無縁で無頓着だった世界に少しだけ触れられたような、貴重な体験になったと思う。また”障害のある恋愛モノ”の部分では、互いに気を使ったり思いやったりすることは、人として当たり前の事であって、障害の有無以前なんだよ、といった基本的な事を強烈なカタチで思い出させられたわけで、どちらも忘れちゃならんと、肝に命じることになった。
有川作品は、ほんとに妙なパワーがある。過去に遡るのは中断していたが、『空の中』がもう直ぐ文庫本になるし、やっぱり完全制覇はしておいた方が気持ち良いかなぁー?
・・・それにしても、「レインツリー」って”ねむの木”だったのね。そして・・・♪
レインはRain(雨)と思っていたから、やっぱりどこがジメっとしたイメージだったのだけど、ところがどっこい!ってね。”レインツリーの国”の、意外な真相を「希望」に見せて締めるところが有川作品の上手さだよね(^^)
ただ、毎度気に入らないのが「章タイトル」。なんでいつもここで先にネタバレさせちゃうのだろう?勿体無いよね。
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コメント
有川さんの図書館シリーズが好きだといっても、完全制覇はする気がなかったのです。
しかもこの本はやはり「重い」ような予感がして手に取らなかったのです。
たしかに重いんですよね。
障害者の方を障害者と認識してしまった時点で何かそこに微妙な感情が生まれてしまうのを否定できません。
たとえば、「何か手助けをしてあげられるんじゃないか?」「でも、余計なおせっかいかな?」そういう思いが瞬時に渦巻きませんか?
それはともかく、聴覚障害者のことを少しでも知ることができてよかったと思います。
私は「ジョゼと虎と魚たち」を思い出して少々息苦しくなった部分もありました。
投稿: ミチ | 2008/05/29 09:36
■ミチさん、こんにちは
>障害者の方を障害者と認識してしまった時点で何かそこに微妙な感情が生まれてしまうのを否定できません。
まったくもって同じです。差別だ偏見だといわれても、無意識にそう見ちゃってるんですよね。
>「何か手助けをしてあげられるんじゃないか?」「でも、余計なおせっかいかな?」そういう思いが瞬時に渦巻きませんか?
これもです。渦巻きますよ~~~
聴覚障害の方に気がつくことはまずありませんが、手足の不自由な方は嫌でも目に入りますし、エレベータのボタン、引きドアの前、いろいろな場面で迷いが生まれます。
私も、読んでよかった本でした。
「図書館内乱」でもガツンとくらってましたが、自分自身がどれだけ疎かったかがわかりましたし(^^;
>「ジョゼと虎と魚たち」
同じような理由で観てないんですよー。
劇場を逃すとDVDにもなかなか手が出ません。腰ぬけなので・・(><)
投稿: たいむ(管理人) | 2008/05/29 18:00
また、泣いちゃいましたね~。(笑)
いやもうなんていうか
猫まっしぐらな(!)伸行に。
ここまで思われたらうれしいな~と。(そっちかい)
どうしても障害を持っていることに対して
理解がないか、
必要以上に気を使って空回りするか
どっちの態度であっても結局傷つけてしまうし、
相手を傷つけるような言葉を言っても
それでもまだかまってくれるなら
この人だったら信じてもいいかな、
甘えられるかなって
イジワルなテストをしてしまう気持ちも
めっちゃわかるだけに
このイタイやりとりは身につまされるもんがありました。
大人になるとなかなか叱ってくれるひともおらず
(まあためを思って言うてくれても
なかなか聞かないですが・・・コラ)
叱られてうれしいってことはさらに稀で
そこまで好きでいてくれる伸行にキャ~でした。
結局は障害は文字通り「恋の障害」のひとつで
単純にラブストーリーとして楽しんじゃいました。
関西弁バンザイ!(そっちいくかな~・・・笑)
投稿: Ageha | 2009/07/26 14:00
■Agehaさん、こんにちは
読まれましたか!(^^)
泣けたでしょ~~~。
私は本当に目から鱗でした。
経験者でないと完全に理解することはとても難しいのだけど、どちらも等身大の悩みと怒りと疑問と思い込みとがあって、まずはそれが当たり前だということと、そこから理解しあうことが大事ということに気がつくことができた気がします。
現実的にも、いまだにどうしていいのやら分からない時があるのだけど、この小説はいろいろ参考になってます。
不幸自慢はもう絶対にしません(^^;
>単純にラブストーリー
そうそう、テーマは奥深いけど私もそのように切なさと嬉しさに振り回されながら読んでました(^^)
関西弁は・・・言い回しのキツサとか温かさが良い感じに作用していたかな?と思うくらい?(笑)
投稿: たいむ(管理人) | 2009/07/26 15:50