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2007/12/03

『PLUTO -鉄腕アトム「地上最大のロボット」より 』 5巻

Pouto5 こちらも久々の新刊。
ゲジヒトが主人公とはいえ、よりにもよっててアトムが死んでしまうという衝撃的な4巻で、更に(原作とは違って生き残っている)ゲジヒトにも何かが起こりそうだ、というところで終っていた4巻だった。
より人間に近い人工知能(AI)を持ったロボットの可能性、人間社会における人間との共存(学習)がもたらすロボットへの影響(変化)、具体的にいえば人間にしか持ち得ない「感情」の芽生えの有無(自覚)について、当のロボット(ゲジヒト)が模索する姿が描かれている『PLUTO』であり、遂にその答えとも言えるひとつの結果が明らかにされた5巻だった。
(以下、若干ネタに触れています)

ゲジヒトは、過去の悪辣な事件において、「憎悪」という感情を発露させ、感情のままに犯罪者(人間)を追い詰め、射殺していたことを思い出す。その体験は、”記憶”(=記録)を消去・リセットされても、何度メンテナンスされても、ゲジヒトの中に”記憶の断片”としてずっと残り続けていた、という事になりそうだ。
「夢をみる」といったロボットにあるまじき現象は、消去仕切れずに残ったデータが何らかの要因で再生していたものなのかもしれない。・・・なんて思う私である。人間でも、体験やエピソードはすっかり忘れてしまっていても、突然反射的に体が動いてしまったり、何故かわからないのに懐かしく思ったり、恐怖を感じたりする事がある。それは”身体が覚えている”と言われるもので、未だ人間でも解明されていない「記憶の在処」に通じるものである。それは、記憶を司る器官は紛れもなく「脳」であるが、経験の記憶は「脳」以外の器官、または細胞の一つ一つに刻み込まれるのではないか?という仮説があり、例えば「”人の心”はどこにあるのか?心臓か?それとも脳か?どちらでもなければ何処に?」といえば分るだろうか?・・とにかく、ロボットにしても、身体を制御しているのはAIかもしれないが、構成する部品の一つ一つに記憶が記録されてしまう可能性は否定できないのではないか?・・などと、「限りなく人間に近くなったロボットとはどのようなものか。」という、若干物語からも飛躍した妄想をめぐらしてしまう私となっている。ゲジヒトのように、ロボットの感情が肯定されたとなれば、あながち大ハズレでも無さそうだと、思考がループしてしまうのだ。

天馬博士は完璧な子供のロボット:アトム造り出した。アトムは、博士が亡くした我が子:飛雄の身代わりとして作ったロボット。しかしアトムの完璧さが、逆に不完全な人間である飛雄との相違(不自然)を確信させる。それこそが、天馬博士に「アトムは失敗作だ。」と言わしめた理由だった。悲嘆が生み出した天馬博士の狂気は、完璧ではなく完全を追求したAI、無数ともいえる人格がプログラミングされ、何にでも成り得る究極のAIを搭載するロボットを作り出していた。
どこまでも悲しいひとだ、天馬博士は。(ウランが癒すことは出来るのだろうか?)

ゲジヒト(ロボット)に肯定された抑制の効かない感情(ただし、人間の感情をロボットが理解したわけではない)。ハードもソフトも正常に機能しながら、プルートゥとの接触から眠り続けているアトム。同じくプルートゥと接触し、戦いに破れたヘラクレスからエプシロンに齎された情報、憎悪の渦の中に紛れ込む”花畑で微笑む男”の姿。これらが絡み合ってプルートゥの”正体”へと一気に繋がりはじめ、いよいよ物語も佳境に入ってきたという感じ。

人間の「地上最大の敵」は「人間」だということ。愚かな人間にロボットが限りなく近づくことの危険性(純粋なロボットは何色にも染まる)といったメッセージを強く感じながらも、まったく先の読めない展開に期待感が高まる。なにはともあれ、納得のいくクライマックスが迎えられれば私はそれで良い。次巻を待ちたいと思う。

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PLUTO 5―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (5) (ビッグコミックス)浦沢 直樹,手塚 治虫小学館このアイテムの詳細を見る 世界の人口60億人分の人格をプログラミングしたロボットだなんて、科学者の考えることよく分からないですね エプシロンが持ってきた花をバックに笑う青年の姿や、以前ウランと触れ合った青年の姿から察するに、天馬博士の言う完全なロボットがPLUTOなんだろうなあ。「何にでもなれる」というけれど、普通に考えれば多重人格になるでしょうに。多重人格って主導権の奪い... [続きを読む]

受信: 2007/12/10 23:34

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