DVD『モノノ怪-のっぺらぼう』
さて、早速オーディオコメンタリーに。「のっぺらぼう」は”挑戦”、あえて作りにくそうな題材を選んで現代風にアレンジすることを試みた作品だった・・という監督談からスタートした。
緑川光、桑島法子両氏の起用は”プロデューサー要請”とのことだった。「怪-ayakashi 」は『天守物語』でのヒーローヒロインのお二方で、「どうしても・・」ということだったらしい。まぁ結果論としてもすんなり、だったようだが。
櫻井さんは、「薬売りとは何者か?」と聞かれる事がよくあり、最初はボカシた発言をしていたけれど、後のほうになるとボカすことを止め、「ああ、人間じゃないです。」って言い切っていたと話されていた。(あくまでも「櫻井主観」として)。
正体不明な薬売り。氏素性がハッキリしないところがまた魅力のひとつであるのだが、キャラデザイン担当の橋本さん曰く、監督からは「カッコイイ(美形)」との支持だけだったとのこと。それでいてあのような”薬売り”が誕生するところがなんとも素晴らしい。しかし尖った耳を指摘され、「なぜ、耳がとがったのか?」にはご本人も記憶が定かではないようだ。「気がついたら尖ってた。」だそうで(^^;) ちなみに顔の模様は「デジタル基盤」をヒントに、意図的に描き加えたものだったとのこと。
「モノノ怪」シリーズのシナリオはどれも難解で、ライターの体験や経験が染みこんでいる様なところが見え隠れするようなものばかりだったらしい(特に「のっぺらぼう」)。実際、全体的に確信には触れず、外側から匂わせながら中心を浮き上がらせるようなドーナツ状に作りこんだ作品ばかりだ。最終的にもこれという種明かしはされない、観る者のフィーリングに全てを任せた作品といえる。それは意図的に仕組んだことと監督は言う。作り手としてその流れのなかで「意味性」を一番大切にしたと言われていた。その場その場での、見せる”意味”、あるいは見せない”意味”をしっかり映像で表現することだったそうだ。(スタッフの理解度が多大に反映したらしい。) 総作画監督としての橋本さんも、セリフの裏に隠れたものを表情でカバーするために、眉毛のシワの数までこだわったと言われていた。(「プロの鏡!」と喝采したいところだ。)
視聴者の反応は、制作側の意図を汲みズバリ的を射たもの、想定とは違った視点で唸らせられるもの、明後日のもの等反応はさまざま。しかし監督は「(どんな反応も)否定はしたくない」として、あえてこーなんです、あーなんです、とは言わない方針らしい(ちょっとズルイとも言えるが)。特に「のっぺらぼう」は、視聴者の年齢や経験・体験で受け取り方に差異が出てくるだろうと予測し、「感性で観て貰えるのが一番。」ということのようだった。
映像に何気に隠されているヒントから、ひとつだけ見た目でわかる”種明かし”してくれた。それはお蝶の”かんざし”。模様に”人の横顔”が左右非対称に描かれ、2つの人格を表現していたとのことだった(方や泣き顔、方や平然とした顔)。これには「え?マジ?」と唸ってしまった。(残念ながら気が付いていなかった。)
即、見直してみた。確かにそのとおりだ。でもー、これもズルイ!!としか言いようがない。他のシリーズとは異なり、やたら顔をアップしにたカットが多い「のっぺらぼう」。なのに”かんざし”は切れているものばかり。これは意図的としか思えない。真正面からの”かんざし”が見えるカットはいくつもないようだ。(ここには、見せる見せないの両方の意味が隠されていたって事だろうケド)。とにかく毎回工夫が凝らされたモノノ怪の演出なだけに、アップの多用には気がついていたが、これを見抜けなかった事がとても悔しい。(まだまだ見落としがたくさんありそうな気がしてきた)
いつの間にEDとなり、今回もまた「あ、おわっちゃいましたね。」という盛り上がりよう。曲が雰囲気(余韻)に合っていていいよねーとか、予告がいいよねーなどとEDについてもちょこっと。そんな予告には監督の本音がポロリ。これには皆で「しぃ~それは言わない約束。」みたいな空気が(笑)。 とはいえ、”苦肉の策”に喜んでいるのは監督だけじゃないかもよ?と思う「モノノ怪」ファンな私だった。
・・ということで、今回も濃い話で満載な24分のオーディオコメンタリーだった。ますます、中村監督の好感度アップである。(映画化とかされないかな~)
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