「化猫」~モノノ怪より
最後の”物の怪”は、ふとした縁(えにし)からヒトの無念を引き受けた「化猫」。
偶々通りがかっただけの猫が”化猫”の形となる。「偶々」も、「通りがかった」も、すべからく”縁”。見ただけ・聞いただけ・言っただけ。どんなに関わりが薄かろうと「縁」で結ばれたモノは「因果」として関係を為す。
”物の怪”を斬る薬売りの物語は、『怪~ayakashi~化猫』にはじまり、『モノノ怪~化猫』で〆られた。しかし、この世に人が在る限り”物の怪”は何度でも現れる。だから何度でも斬る。その為の薬売りの存在であり、”物の怪”の災いは決して他人事ではない・・というメッセージをほのめかしつつ、『モノノ怪』の幕が下ろされることとなった。
怪異が起こり、地下鉄の先頭車両に集められた7人の男女は、3ヶ月ほど前に起こった「鉄道投身自殺事件」に多少なりとも関係のある者達だった。
”化猫”は、自殺とされた女性記者:市川節子の無念が創り出した”物の怪”だった。記者として市長と電鉄会社との癒着を嗅ぎ付けた節子は、記事をもみ消そうとする(これまた市長と通じていた)上司:森谷に騙され、もみ合いの末、森谷によって線路に突き落とされてしまった。そこにタイミングよく走行してくる列車・・・。その列車の運転手こそが怪異の時の運転手。節子が線路に落ちたのは列車が近づくだいぶ前。ちゃんと前方に気を配っていれば、節子を轢くことなく列車を停止することも可能であった。まったく気がつかない運転手に対する怒り。わずかな時間とはいえ、節子の恐怖と無念がどれ程までに膨れ上がっていたか計り知れない。「化猫を生み出すのも道理だ。」と言いたくなる。
節子が(化猫)の恨む相手は、森谷であり、元凶である市長。最初に市長に制裁が下った理由はそこにある。集められた他のメンバーは、節子の逆切れによるトバッチリ・・とも言えなくはないが、それぞれが森谷と節子のやり取りを見たり聞いたりしていたことから、「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり」が災いを呼んだということになろう。もちろん彼らには「ふり」のつもりどころか「悪気」もない。・・・けれど、無意識・無自覚は、時に罪であり、知らずに他人の恨みを買うことがある。「見ざる、言わざる、聞かざる」そして「喋りすぎ」は他人を傷つけ絶望の淵へといざなうことがある。確信犯は勿論だが、何時、何処で、誰が、誰の、恨みを買うかは神のみぞ知る。真と理を得、人の縁と因果が”物の怪”を生み出すのならば、この世に人がある限り決してなくなりはしない。その時に人はどうするべきなのか・・・なのかもしれない。
今回の”物の怪”は、最初から「許さない」と復讐めいた言葉を発していることから、怪談に定番の「恨めしや~」な物語であることが直ぐに分る。よって、これまでのシリーズの中では一番単純なストーリーだった。今まで散々驚かされ続けた『モノノ怪』なだけに、この締めくくりには物足りなさを感じたりもするけれど、私は、監督の大胆な(同一)タイトルの採用、正統派に真っ向勝負を挑んだ強い意志と信念に拍手を贈り、評価をしたいと思う。
一貫したハイクオリティな美術を維持し続けた作品。独特の描写も美しく、目を伏せてはいけない残虐非道な場面もすっと受け入れられる工夫が施され、そのセンスのよさに感銘を受けた作品。凝ったストーリーもしかり、何もかもが見事で素晴らしい作品だった。
単発の『怪~ayakashi~化猫』とは異なり、毎週の『モノノ怪』の現場は常に戦場さながら、だったという。薬売りの櫻井さん曰く、「異常」(^^)。1クールでしかなかったことをとても残念に思うが、だからこそクオリティが維持できたものとすれば納得も行く。
気配だけ残してヒトの視界から消える薬売り。時代を問わず何処にでも現れる薬売りも、やはり”モノノ怪”の一種、ヒトが必要として創り出した”アヤカシ”の類いではないかと私は思う。(しかし物の怪を創るのも斬れるのも「人」か?とも思うので確信ではない。)
なんであれ、またいつか、ふいにその姿を現して欲しいと願う。
・・・・・さしあたり、DVDにて『座敷童子』再び、だね(^^)。映像特典:【櫻井孝宏 対モノノ怪指南】も楽しみだ。
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