『沙門空海 唐の国にて 鬼と宴す』 夢枕獏(著) 読んだ。
第1巻では、まず空海の人間離れした才能の数々のお披露目であり、この先に関わることとなる事件の発端が描かれている。
大陸を目前にしながらも上
手くコミュニケーションが取れず、上陸が阻まれていた遣唐使一団を救ったのが空海だった。当初は最年少の若輩僧であるが故、出過ぎず控えていた空海だったが、誰よりも語学(唐語)に優れ、文(字)の才能の長けていた空海であり、事態の改善に一役買うこととなれば、目的はあっけなく達せられ、その時点で誰もが一目置く存在となる。
逸勢は、早々に空海の”才”を認め、上陸の前から”友”として行動を共にするようになる。逸勢は逸勢でなかなかデキル儒学生であり、デキルことを自負するくらい
プライドが高い人間。しかし、他者を認めるだけの器量を持ち合わせている人間でもあり好人物ではある。空海に対しては率直にものを言い、諫言めいた発言をしたりもする。時には逸勢の空海とは異なる視点が空海を救ったりもするのだが、やがては空海の桁違いの大きさ知り、”広い世界”に触れたこ
とで、己の器の小ささを思い知り、その心境の変化を素直に空海に吐露し始めるような、実にいい漢である。そんな逸勢だから空海も親友として接するのだね。
・・・この2人の関係性は『陰陽師』シリーズでの安倍清明と源博雅に似ている。似てはいるが似ているだけ。清明&博雅コンビが好きな方にはオススメできるし、是非違いを楽しんで欲しいと思う。
逸勢は(博雅同様)この物語の中では清涼剤や緩和剤の役割も担当している。話が小難しく(ややこしく)なってくると、決まって逸勢が空海に「どういうことだ?」と質問をし、例え話をもって空海が答える形式 が用いられている。「?」になった読者も空海の分りやすい説明でおいてけぼりを食わずに済むということだ。(この会話は何度となく行われ、獏さんは読者にとても親切であるといえるだろう・・^^)
さて、『怪事件』の発端は”猫”である。「予言」をし、「予言」が悉く当たるという”妖しき猫”である。その”猫”にまつわる事件と時期を同じくして起こり始めた”妖しき現象”とがひとつに繋がった時、事件は空海や逸勢を巻き込みながら、思いも寄らぬ方向へと進み出して行く。
真の事件の発端は50年前の出来事にまで遡ることとなる。玄宗皇帝・楊貴妃・安倍仲麻呂・李白・・・。誰もが聞いたことがあるだろう名前が次々に飛び出してくる。それが2-4巻で徐々に描かれるていくのである。新事実と謎の解明が繰り返されながら、バラバラだった事件・事故・物語がパズルのピースが如く嵌りだす。(見事です)
驚愕の全容はもちろん獏さんの”フィクション”ではあるけれど、この作品は『陰陽師』シリーズのように”すべてが物語”という作風ではなく、時折、参考文献からの”引用”や”注釈”に代わる説明文、または”獏さんの解釈”がソレと分るように差し込まれている為、実際の”歴史物語”にも感じさせられ、仮説として「もしかしたら・・」という夢の持てそうな、素敵な話に仕上がっている。
ちなみに、空海の唐に渡った本来の目的、偉業他、空海自身の話もちゃんと描かれている。帰国に至るまでの後日談も書かれており、最後のオチを楽しみにして欲しい。
「読みやすい」と最初に書いたが全4巻は読み応えアリ。この夏ノベルス本が発売され、手軽に読める価格とサイズになったことでもあり、これらの登場人物の関わり合いに少しでも興味を持たれたのだとしたら、「楽しんでもらえるワンタイトル」としてオススメしたいと思う。
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