「阿波DANCE」みた。
もう少し感動的なモノを期待していたのだけど、物語的には超定番で普通だった。親の都合で徳島県は鳴門市に転校してきたヒップホップダンス好きな高校3年生の茜と、クラスメートで”阿波踊り部”の男子4人での、”ダンス”をめぐる戦いあり、男の友情あり、ラブ要素ありというストーリー展開。
茜とコージの対立と和解、「AWA DANCE」チームの結成と解散危機、受験の影や三角関係による友情の亀裂と修復が描かれ、誰もが高校最後の夏に”大切な何か”を見つけて再出発するという、まるでTVシリーズ『ウォーターボーイズ2』をギュット凝縮したような感じだった。しかし、TVシリーズほどの尺がない分駆け足で、状況も気持ちも、まぁコロコロと変わる変わる。・・気になるんだな、悩んでるんだな、後悔してるんだな、ダメなんだな、という描写がこれ見よがしに入るので、状態は分かるんだけど、分かりやすすぎでもある。
【踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!】
「無理」とか「意味ないし」を連発し、「熱血」はウザイ、「こだわり」はキモイと言って自分は何もせず、自分勝手に限界作って、結局、何も知らず何も出来ないことを自己弁護するだけの最近の子供達。
先日、とある対談形式の新聞記事コラムの一文に目にとまった。それは、人間は”知恵の実”を食べたことから本能で生きることを止めた為に進化しなく(遅く)なった、つまりは、「思考」することで、思考の範疇以上の進化が出来なくなったのではないか、というような事がが書かれていた。(所詮人間は人間以上にはなれない・・と行き着くのだけど、今はそこまでは考えない。)
この作品での一つのキーワードとされていた「阿呆」とはそういうことかもしれないと、ふと思った。
何も考えずに無我夢中になることは、邪念を捨てて心を空っぽにすることではなく、本能が思考を超越したとき、自然に気持ちが満タンになって溢れ出てしまうことであり、それが「阿呆になる」ということなのではなかろうか?と。「阿呆」にはなろうと思ってなれるものではなく、ただ切っ掛けは自分自身で、そこから先も自分次第。
型を模倣しただけの抜け殻では、どんなに完璧でどんなに技術が優れていても、それ以上に伝わってくるモノが感じられない。「阿呆」が何かは他人に教えられて分るものではなく、自分で気が付かなければならない事。だからこそ見ている者にも感動を与えるパワーを宿すんだろうね。
本来なら「阿呆な姿」には意味もなく涙がこぼれてくるのだけど、残念ながらそこがちょっと弱かったように思うこの作品。それはダンスのメンバーは他にも沢山いたにも関わらず、彼らだけの都合や始めたり止めたりの繰り返しで、最終的には”彼らだけ”のモノになってしまったから。振り回されたその他大勢が可哀相だ。一緒に練習した彼らを置き去りにして、「君たちだけスッキリしたってねぇ~」って引っかかった私だからかもしれない。都合のいい展開にはなるけれど、最後にはその他大勢も全員集まってきて盛り上げて欲しかった。
総評:★★★☆☆+ 好き度:★★★☆☆ オススメ度:★★★☆☆
テーマは深いけれど、もう一歩描き切れていなかった、というところかなl?
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コメント
たいむさん、こんにちは。
>「阿呆」が何かは他人に教えられて分るものではなく、自分で気が付かなければならない事
まさにそうですねー。
一生懸命にやることをなんだかかっこわるいと思う人もいますよね。
熱くていいじゃんと思いますけど。
映画としては最後に5人だけで盛り上がらず、クラスメートまで巻き込んでという感じになったら、さらに感動したかもしれませんね。
投稿: はらやん | 2007/09/01 05:52
■はらやんさん、こんばんは♪
アツクて何が悪い!オタクで何が悪い!って体育会系でありつつしっかりオタクな私も思います(笑)
クラスメートは全員集まってほしかったですね~。
やはりそこが物足りなかったです。
投稿: たいむ(管理人) | 2007/09/01 17:46
こんにちは♪
こういう熱血青春サクセスストーリーに付き物のカタルシスが不足していてましたよね~。
あの阿波踊り競技会みたいなヤツはあの町ならではのものだけに規模が小さかったですよね?
規模が小さい上に、主役たちも5人で踊っちゃってオシマイみたいな・・・・。
ホント、せっかく練習したんだから仲間全員で踊り狂って欲しかったです。
投稿: ミチ | 2007/09/30 10:15
■ミチさん、こんにちは♪
阿波踊りって、もっと盛大なものかと思っていただけに(眉山はみてません)、町内の催し物のようなお祭りに「へ?」でしたね。
ほんと、そのまま規模が繁栄されてました。
もっと全員で踊り狂ってほしかったですねー。
投稿: たいむ(管理人) | 2007/09/30 12:10