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2006/07/10

「デスノート」を読み終えて。

原作を読んでみて、原作と映画の違いがよくわかった。印象が少し変わった。
映画を観た直後の感想は、以前に書いたとおり。
おそらく、今もう一度「前編」を観たとしたら、また違った感想を持つかもしれない。けれど、それは原作との対比・・という見方が強くなるのではないかとも思う。
正直、原作を読まないまま前編を観ることが出来て良かったと思っている。まっさらな状態での感想は一度っきりしか味わえないものだしね。

原作を読んでも、映画にて最初に感じ取った作品のテーマにおける印象そのものは、ほとんど変化していないと思う。やっぱり「キラ」は”神”でも”正義”でもなく”大量殺人鬼”という「悪」であり、「L」そして「Lを継ぐものたち」としてのニアやメロもまた、「自己中心的な正義を語るもの」でしかない、ということ。
”違った印象”とは、映画と原作に於いてキャラクターから受けた印象、イメージに差があったということ。その中でも「月(ライト=キラ)」と「L」について。

藤原竜也演じる「月」にはどうしても憎めない雰囲気があった。邪悪さがあまり感じられない。さもすれば、応援したくなってしまっていたようにも思う。それはまるで「キラが正義」であるかのように。ポテチのところでは「してやったり」って思ったりもしてね。
対して、松山ケンイチ演じる「L」には、甘いものを食べ捲くる姿といい、人を高みから見下すかのような言動といい、多少ならず嫌悪感を持ったと思う。すごく嫌なヤツって。

これは映画として成功なのだろうか?

原作を読んでみて、一転した。
月には邪悪さをとても強く感じ、『勘違いも大概にしろよ!』という思いがムクムクと湧いてくるし、Lは・・・Lはやっぱり得体が知れないながらも、時折みせる普通の少年っぽさ(計算とか演技かもしれないけど)がなんだかすごく可愛らしく思えてきてしまった。

本当にどうなんだろうか?

やっぱり、特にキラ(=月)に共感するのはマズイのではないかと私は思う。(もちろんLについても言えることだけど。)
「正義とはなにか?」
問題提起としてのキラの行いを検証する分にはヨシとしても、本気で首をかしげ、さらには「キラ様」と思う、なんてことになったりはしないか?
藤原”月”に少なからず好意的な目を持って観てしまった私。もちろん「キラ=悪」の公式は崩れない。が、きっと同じような目で見ていた人は少なくないような気がする。
彼は”笑うと可愛い”からなぁ(笑)

漫画の方が正しくメッセージを伝えているように思う。映画はそれにどこまで迫れるのか?
ミサが大きく絡んでくるであろう後編。映画オリジナルで進むのか、漫画と同じような展開になるのか(不可能っぽいけど)、どんな”正義”が勝つのか?正しくメッセージは伝わるのか?
やっぱり期待と不安とで楽しみな後編、ということになっちゃうかな?

(以下、12巻のラストなど雑感)

Death_12 最終12巻の世界。真に「L」をつ継ぐものとして「ニア」そして「メロ」との対決となる。
「L」との決着は既につき、「L」はこの世にはもういない。その最終決戦は殆ど反則技。レムを動かす・・ということもすべて計算ずくだった、と言われれば確かにそうなのかもしれない。けれど、その時から、、、イヤ初めから「月」はどこか運頼みなところがあり、結果オーライというもので占められていたように思う。計算しつくされていたようで実は全然違っていた。”不確定要素”に右往左往させられ、その”不確定要素”に最後まで苦しめられ破滅した、と言っても良いかと思う。

「ニア」との直接対決。
・・・しかし、魅上のノートには「ニア」はじめ全員の名前と「夜神月」の名前も書かれてると思ったんだけどな。それで「神」は自分ではないとして、そこから知った「ニア」の名前を月が自らの手で書く・・・というのを期待していた私。
やっぱり「月」は詰めが甘い。裏の裏は表・・・の繰り返しで負けた。アレだけ「念のために」を繰り返していた「ニア」に及ばなかった。

「月」の最後のあがきは、まぁ、そんなものだろうと思う。ああなってしまえは、ああ言うしかないし、ああするしかない。
「無」に返したリュークのお手柄かな?優しさかもしれない。
とはいえ・・・・「お前が諸悪の根源だ!」と誰かが言わなければならないと思うのだが(笑)

最後のメッセージには背筋に冷たいものを感じた。
”キラ様”を信じる集団はいずれ”新たなるキラ様”すなわち”神”を生み出すかもしれない。偶像崇拝の暴走の果てに・・・信じる心は時には想像もつかない怪物を生み出すことがあるから。
それは現実社会においても。・・・くわばらくわばら...

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コメント

こんばんは、たいむさん。

漫画のデスノートを読み終えたのですね。
ふむ、やっぱり映画と原作(漫画)では
キャラの印象が違ったのですね。(^^;)
私は映画のLを楽しみにしていただけに残念な感想かも;
(Lの方が月より漫画に近いと思ってたんで;)


しかし、本命は月だった私として
ちょっと痛い批評でした。(^^;)
自分の意思を貫く姿が好きだったので。(汗)

投稿: アオ | 2006/07/13 21:22

■アオさん、こんばんは♪
アオさんとはだいぶ違った感想になってしまった感じですね。
映画のLも月も原作のイメージは良く出ているとは思いますよ。
ただ、私は映画を先に見てしまったからだと。
原作→映画だと、本物ありき→実写ということで近い(似ている)部分を探す目になってしまうと思うんですね。
けれど、実写(模倣)→実物となると、
「なんだ、違うじゃん」となるわけです。微妙な差異のほうが目に付くという逆ですね、きっと。

>本命は月
アオさんはそうですかぁ(笑)
私はなんだかんだいってもLが好きかも(笑)

月の意思を貫こうとする執念には並々ならぬものを感じますが、やっぱり「神」はまずい。ミサに正体がバレるまではまだ良かったのだけど。
キラがイコール「裁きの神」として君臨する分にはある意味問題無し、とするしかないのだけど、キラ=月となるとダメなんです。キラが月として第3者に正体を明かした時点で既にキラは決して神にはなれない、存在のある人間でしかないということになってしまったと思うんです。生身の人間である以上どんな理由があるにせよ同じ人間として裁かれなくてはいけない。あるいは、キラに裁かれるべき対象なんですね、月も。

それに「神」に執着した月の最後の言い分にはどっかの議長(笑)の演説と同じものを感じましたしね。

Lも決していい人間ではないと思います。月とは同じ穴の狢というか。
ニアの言う「勝ったほうが正義」
でもそれを認めちゃっていいのかなぁ・・と言うのしこりも残ります。

どちらの執念も凄まじかった。正に命懸け。
そのパワーをより良き世界のために使って欲かった。
どちらも、それほどの人材ですし(笑)

後編には「高田」が登場しますね。
どういう風に絡めてくるんでしょう。
やっぱり「破滅への輪舞曲」的役割かな?(爆)

投稿: たいむ(管理人) | 2006/07/14 00:17

こんにちは♪
先日コメント残させていただいたはずなのに、やっぱりメンテナンス中だったので反映されなかったみたいですね。
わざわざ記事アップをお知らせくださってありがとうございました。
まっさらな気持ちで映画を見て、それから原作を読んだ方の感想が聞けてとても興味深かったです。
ラストの月の悪あがきと、リュークの行動は私は納得です!
どちらかというとL編のほうが好きですが、ニア編ではニアがプラモを作ったりレゴみたいな人形で遊ぶシーンがいつも楽しみでした!

投稿: ミチ | 2006/07/14 21:50

■ミチさん、お手数をおかけしました♪
メンテに引っかかっちゃってたようで、どうもすみません。

映画でも充分楽しめて、それによって原作に興味を持ち、またちょっと角度のちがった原作で世界が広がった、という感じで面白かったです。
誰に対して好感度があるか・・というのは、内容が複雑(実は単純だけど)なので、共感したからというより、単なる好みの問題かなと思います。

私もやっぱりL編で、Lが好きですが、Lのお菓子の種類より、ニアのオモチャが気になりました(笑)

13巻ではお菓子の一覧表もあるんでしたっけ?
ミチさんは、ニアの使っていた「指人形付き」の特装版を予定してますか??
もしそうなら・・・「L」の本名、こっそり教えてください!!(爆)


投稿: たいむ(管理人) | 2006/07/14 22:21

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