DVD「ミリオンダラー・ベイビー」みた。
遅ればせながら、やっと鑑賞。
スポーツとはいえ、”人が人と殴りあいをする”という格闘系もの全般が好きではないので、それだけで喰わず嫌いだった作品。
実際に鑑賞してみて、確かにボクシングという格闘技のひとつの物語ではあったけれど、あくまでもそれはソースのひとつだという事を知った。
作品に潜むのは「家族愛」(絆かな?)であり、「倫理感」であり、「個人の尊厳」であり。厳しい表現をするならば、傷の舐めあいであり、現実からの逃避であり、奥が深くて一口では表現できそうにない。
現実的な問題として捉えればあのラストはたぶんまずいのだと思う。死に対してはやっぱり他人が関わってはいけないと思うし。決して正しい選択だったとは思えない。だけど、「・・・だけどね」という思いは少なからず湧いてしまう。
強い人間は必ず全てを自分の意思で決定する。
ただ、人間の様々な決断の中で「死を選ぶ」ということだけが、自らの意思で決断されたにも関わらず”逃げ”という捉え方をされてしまうことがほとんど。
マギーの場合もやはり逃げなのかな?
彼女に手を貸したフランキーも、それを知っていながら何もしなかったスクラップも逃げただけなのかな?それが”本当の愛”だと信じることで。
尊厳死については「海を飛ぶ夢」を観た時も色々考えた。けれど私には今もまだ答えを出せそうにないようだ。
物語の中で、一番いただけないのは卑怯な手口でマギーをダウンさせたアイツ。ちょっと許しがたい。マギーはあの世界では高齢だしいつまでも輝いていることが出来ないであろうことは想像に難くない。もう少し夢を見させてあげたかったなぁーと、なんだか悔しい思いが込み上げてきた。これはフランキーやスクラップの思いでもあるのだろうね。
・・・だから格闘技は嫌い。痛いし危険だから。そこに美学なんてとうてい見出せそうにないなぁ。
自分の人生に誇りを持てた、といったマギー。たとえ短い期間だったとしてもそれが確信できることって素晴らしいなと思う。私も、自分の人生の終焉を迎えるときにそういって死ねたらいいな、と思う。思うが・・・頑張らねばっ!
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コメント
こんばんは。大泣きした映画です。
しばらくの間、思い出すだけでも泣けた…。(^^;)
あのボクサー(卑怯な方法で勝利した)は、本物の女子プロボクサーだとか。本来なら、誰もが嫌がりそうな役を引き受けたのだなぁ、と別な意味での感慨もありましたっけ。
投稿: あかん隊 | 2006/06/22 00:45
■あかん隊さん、こんばんは♪
大泣き・・と言うほどではありませんでしたが、しみますね。
>あのボクサー
ああ、そうか。あんな風に書いちゃったけど・・そっか、そこまで気がつきませんでした。
本人じゃないのに責められたりしたのかな・・・ホント、別の意味でも何かが残りますね。
投稿: たいむ(管理人) | 2006/06/22 21:17
たいむさん、こんにちは。
前にちらっと書きましたが、この作品、私が去年見た中ではナンバーワンでした(って、そんなに数は観てないけど:笑)
あのボクサーに恨み辛み、復讐してもいいはずなのに、マギーは「自分の身を守らなかった自分」を責めますよね。このあたりが、なんというか、すごいなぁ、クリント・イーストウッドは、と思ったりも。
フランキーは、娘さんに会えたのかなぁ、と、久々に思い出しました。
投稿: ラフマニノフ | 2006/06/23 14:56
■ラフさん、まいどどうも♪
やっとみましたよ~
>「自分の身を守らなかった自分」
ああそうだ。ココは泣けた!
なんだか、あとからジワジワとくる作品かもしれません。
>フランキーは、娘さんに会えたのかなぁ、
フランキーさんは生きているのかなぁ・・
後ろ向きです(^^;)
投稿: たいむ(管理人) | 2006/06/23 21:13